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【Interview】南アフリカから世界へ羽ばたくNasty C。A$AP Fergともコラボを果たしたアフリカの「ベストラッパー」にインタビュー

 

Interview & Text: Kaz Skellington(Playatuner)

 

 

南アフリカ

を代表するヒップホップアーティストというと、誰を思い浮かべるだろうか?新世代のヒップホップ/トラップシーンが成長している南アフリカであるが、そんなシーンをリードしているのが、A$AP Fergとコラボをしたり、最近ではT.I.とのコラボも噂されている若きラッパー、Nasty C(ナスティ・C)であろう。

 

彼は2015年にサウス・アフリカン・ヒップホップ・アワードを最年少で受賞し、2018年にはTINA誌の「アフリカのベストラッパー」という称号を受けている。同年にはアルバム「Strings & Bling」をリリースしており、こちらはA$AP Fergをフィーチャーしたシングル「King」でも話題になった。

 





 

彼は今では南アフリカを飛び出し、インターナショナルにファンベースを獲得している。先日来日をしていたNasty Cに話を聞くことができた。普段米国のアーティストをインタビューしている身としては非常に興味深く、新鮮な話も多く聞くことができた。

 

 

 

 

Interview: Nasty C

 

➖今回が初来日ですか?

Nasty C:そうだね。レッドブルのイベントに出演するのと、色々な人たちと繋がるために来たんだ。アートが大好きだから、日本のカルチャーを勉強したり、タトゥーを入れたりしたいと思ってる。自分もデザインとか、絵を描いたりするから、色々見れるのが楽しみだよ。

 

➖日本はどんな印象ですか?

Nasty C:日本はファッション的にも素晴らしいし、普通にその辺を歩いてる人たちもオシャレな格好をしているのが驚きだ。自分的にも凄く居心地が良くて、自分も30%ぐらい日本人なんじゃないかって感じたよ(笑)色々な国に行ったことがあるけど、日本だと言葉も文化もわからないのに誰とでもすぐに仲良くなれるんだ。

 

➖南アフリカのどこ出身なのですか?

Nasty C:Durban(ダーバン)という場所だよ。常にトロピカルで天気が良いし、音楽のカルチャーもある。例えば「Gqom(舌を上顎で鳴らす発音)」というジャンルもダーバン発祥だ。多分日本人からしたら「Gqom」という単語を正しく発音するのも難しいだろうけどね(笑)

 

➖「Gqom」ってそのような発音なのですね!「Gqom」はどのような音楽と言えますか?

Nasty C:「Gqom」はダーバンのダンス・ミュージックで、テクノやハウスのような音楽だよ。音楽性というよりも、「Gqomが流れたら絶対に踊ってしまう」って意味で、テクノのような音楽と言えるね。

 

 

Gqomの発祥の地でもあるダーバン出身だと語ったNasty C。Gqomは2010年代頃に出てきたダーバンのダンスであり、ハウスやディスコからの影響を強く感じることができる。最近だと映画ブラック・パンサーにて使用されていたDistruction Boyzの「Omunye」で、Gqomというジャンルを知った方も多いだろう。

 





Gqomについて教えてくれた彼に、自身のルーツを聞いてみた。

 

 

T.I.のMVを見て「俺もこうなりたい!」と思った

 

 

➖ダーバンで育つのはどんな感じですか?

Nasty C:まぁDurbanは他の街と同じような感じだよ。俺が育ったのはいわゆるゲットーで、色々トラブルに巻き込まれる可能性もあるような場所だった。でも俺は音楽を愛していたし、常に音楽活動にフォーカスしていたから、そのようなトラブルには巻き込まれなかった。音楽のおかげで道も踏み外さなかった。

 

➖どのようにして音楽の世界に入ったのですか?

Nasty C:俺の兄がハウス・ミュージックを作っていたんだ。彼のパソコンにはFL Studioが入っていて、それが最初に音楽に興味を持ったきっかけかな。本格的に「音楽をやりたい!」って思ったのは、小学校4年生のときに、T.I.の「Top Back (Remix)」のMVを見たときだね。通学で使っていたバスのスクリーンでMVが流れてたんだけど、それを見て「俺もこうなりたい!チェーンも車も欲しい!」って思ったんだ。そこから他のアーティストを調べるようになり、ビートも作るようになったね。完全にヒップホップの虜になったよ。

 





 

➖最初からヒップホップを作っていたんですか?

Nasty C:最初に作ったのは「Gqom」のビートだったかな。兄がハウスを作っていたのもあり、音楽的に彼から教わることできたのはダンス・ミュージックだったんだ。でも自分には合ってないと思い、ヒップホップへの熱意を追いかけることにした。

 

➖最初にヒップホップに興味を持ったのは、サウンド的な要素だったのですか?それかリリック的な要素ですか?

Nasty C:正直に言うと、当時はリリックを全然理解できなかったんだ。まぁ少し聞き取れたりするんだけど、理解はしてなかった。英語で喋ることはできたけど、まだ9歳だったのもあって、わからないことだらけだった。

 

➖英語は第一言語じゃないですよね?でも英語のアクセントはアメリカの南のほうですよね。

Nasty C:第一言語はズールー語だよ。でも英語の学校にも通っていたし、ヒップホップを通して英語を獲得したんだ。アクセント的にもアトランタの人と思われることが多いかな。

 

➖最初にNasty Cの音楽を聞いたときも、アメリカのラッパーかと思いました。

Nasty C:常にヒップホップ・カルチャーに属してたし、研究もしてきたからだな。

 

➖ダーバンのヒップホップ・シーンはどのような感じですか?

Nasty C:徐々に大きくなっているよ。トラップも南アフリカをテイクオーバーしているしね。

 

➖それはあなたのおかげですか?

Nasty C:まぁそう言いたいけどね!だって昔は地元でライブしても、「こいつ何やってるんだ…?」って感じの目で見られてたし、同じステージでライブをやっていた他のラッパーたちはブームバップのようなスタイルが多かった。皆シンプルなビートでパンチラインを立て続けに繰り出すタイプのヒップホップをやっていたんだ。

 

➖ラッパーとして誰に影響されていますか?先程T.I.の名前が出てきましたけど。

Nasty C:T.I.にはめちゃくちゃ影響されたし、今はYoung Thugかな。後はFuture、ケンドリック、ドレイクも好きだ。Lil Wayneもずっと大ファンだよ。俺の世代が聞いていたアーティストはこの辺だね。

 

➖このようなアーティストや情報は、インターネット経由で全て知ったのですか?

Nasty C:そうだね。家にケーブルテレビを表示させるには時間がかかるんだ。音楽の情報が自分に与えられることはないから、常にインターネットで探す必要があった。後は友達にCDを焼いてもらったり、雑誌の記事を切り抜いたりもしてたね。

 

Rich Brianのエピソードを思い出しました。彼はインドネシア出身なのですが、学校にいかないで一日中YouTubeを見ていたら英語を喋れるようになったらしいんですよ。

Nasty C:Rich Brianってインドネシアなんだ。日本の人だと思ってたわ(笑)でもそれって本当だと思う。やっぱ学校の方法だと頭に入ってこない人も多いと思うし。

 

➖でも自分が愛しているカルチャーを通して勉強すると入ってくる

Nasty C:そうそう。好きなことを通して言語を勉強すると、エンゲージするようになるし、頭に入ってくる。

 

 

第一言語は英語ではないが、自分が好きなヒップホップを通じて英語を獲得したと教えてくれたNasty。実際に彼の英語やラップは、アメリカ出身のラッパーだと思うようなアクセントをしている。スクールバスでT.I.のTop Back (Remix)のMVを見たことがきっかけで、ヒップホップの世界に入った彼であるが、そんなヒップホップへの愛が、ダーバンという街で育った自分を導いてくれたと語った。ヒップホップについての話は続く。

 





 

 

皆で団結して、自分たちが抱えているものを表現すると、その傷が癒える

 

 

➖もちろん私もヒップホップカルチャーを愛していて、仕事としてもヒップホップについて書いたり、ラジオで語ったりすることが多いんですよね。ヒップホップって70年代にサウス・ブロンクスで生まれたアフリカン・アメリカン・カルチャーですけど、共鳴することが多いと感じます。南アフリカ出身のアーティストとして、ヒップホップはどのようにあなたの人生に影響を及ぼし、共鳴しましたか?

Nasty C:自分の人格/キャラクター形成に大きく影響したし、やっぱりそういうところが好きだよ。ヒップホップのおかげで、自分が夢を見ていた「自分」になることができた。自信を持つことも教えてくれたし、言語/ボキャブラリーも教えてくれた。リリックを理解するにも書くにも、ネットで調べないといけなかったから、多くの知識を俺に与えてくれたんだ。

 

➖Urban Dictionaryとか?

Nasty C:そうそう!あれは俺のお気に入りのサイトだったよ(笑)それ以外にも、自分が街を代表したり、世代の「声」になることを教えてくれた。毎回「俺は誰かのための声になっているんだ」って考えると気が引き締まるよ。

 

➖私がヒップホップカルチャーに属し、好きな理由でもあります。ブロンクスやブルックリン出身じゃなくても、日本でも、中国でも、インドネシアとかでも、多くの人たち日常で何かしらの問題を抱えていたりして。でもヒップホップがきっかけで自分を擁して、前に進めるようになったり、居場所を見つけることができたり…そんな要素が凄く好きです。

Nasty C:そうだね。しかもヒップホップは「点」を繋げるんだ。例えば、昨日遊びに行ったライブで出会った人たちは、全員が初対面だったけど、「ヒップホップ」というものを通じて繋がったんだ。しかも繋がっただけではなく、バックステージでは皆ハグをしたり、握手をしたり、お互いをインスパイアし合ったり、「愛」に溢れていたんだ。

ヒップホップには魔法のような力があると思うんだ。俺らの世代は、誤った方向に導かれた経験を多くしている。でも皆で団結して、自分たちが抱えているものを表現すると、その傷が癒えるんだ。他のジャンルを貶すわけじゃないけど、例えば俺がR&Bをやっていたとして、今の自分がラップしているような暗いことをそのまま歌っていたら、暗い気持ちになってしまうと思うんだ。でもヒップホップだと、全てを振り払った気持ちになることができる。

 

 

ヒップホップには魔法のような力があると語ったNasty。自分が夢を見ていた「自分」、というフレーズが印象的であり、そのように自信を持つことを教えてくれたヒップホップに彼は感謝しているようであった。最後に、彼が南アフリカのアーティストから、「グローバル・アーティスト」になる上での活動を聞いてみた。





 

 

➖Sway in the Morningに出演したり、A$AP Fergと共演したり、今ではインターナショナルに注目されていますが、どのような活動をしてここまで来ましたか?

Nasty C:それは今、日本でやってることと全く同じだよ。現地に行って、色んな人たちとコネクションを作る。そうやって愛を広めて繋がりを作るんだ。

 

➖元々南アフリカ以外の人たちに認識されたのはインターネットがきっかけですか?

Nasty C:そうだね。俺は自然にインターネットをツールとして使っていたんだ。自分の地元で話題になる以前でも、全く違う場所で聞いてくれている人がいたら、そこの人に連絡をとってミックステープに参加してもらったりしていたよ。

 

➖日本には「逆輸入」という言葉があります。「日本で話題になっていなくても、海外でファンベースを築き上げると、それに乗っかる形で日本でも人気が出る」というニュアンスがあるんですよね。

Nasty C:南アフリカでも全く同じだよ!外で人気になったときに本当に「愛」を見せてくれるようになる。大体の人は既に人気なものに乗っかりたいんだ。

 

➖元々アーティスト活動を始めたときから、インターナショナルに活躍したいと感じていたのですか?

Nasty C:そうだね。最初から世界で活躍したいと思っていたよ。

 

➖例えばケンドリック・ラマーは、Big Boyのラジオ番組に出演した際に「最初はLAのKey Clubでライブをやるのが夢だった」って言ってたんですよ。今のケンドリックがライブをしているレベルの場所からしたら、Key Clubってかなり規模的には小さいのですが、当時は自分がそこまでビッグ・アーティストになっているとは思わなかったと言っていて。

Nasty C:あーでもその気持もわかるかもな。俺の場合はやっぱり、そこまで大きな規模なものを見たことがなかったし、自分が知っている世界の天井が低かったんだ。徐々に天井の高さも変わっていった。ツアーとかで他の国に行くようになってから、世界が広がったよ。

 

➖日本のヒップホップ業界では、海外に進出しているアーティストはまだ少ないのですが、今後海外進出する人たちに何かアドバイスはありますか?

Nasty C:自分のやりたいことに嘘をつかずに、自分が進みたい道を突き進むことだ。周りの人たちは「こういうサウンドをやったほうがいい」とか「こういうフォーミュラでやったほうがいい」って言うかもしれないけど、それは自分の周りに壁を作るだけだ。色んなサウンドをやってみるのもいいし、冒険するのもいい。そして多くの人たちと関わって、繋がりを持ったり、コラボをしよう。

 

➖今までコラボをしてきた人たちは、大体現地で出会って、繋がりを作った人たちですか?

Nasty C:会ったことないけど、コラボをした人もいるよ。T.I.とかも会ったことないんだけど、向こうからインスタでDMをくれて、コラボに至ったんだ。昔「いつかT.I.と一緒に曲をやる」って周りに言ったとき、ジョークだと思われたけど、実際に叶った。

 

 

南アフリカのダーバンという土地で育ち、グローバルで活躍するアーティストになるまで、彼がどのように活動したのかを語ってくれた。「昔 “いつかT.I.と一緒に曲をやる”って周りに言ったとき、ジョークだと思われた」というエピソードは非常に興味深く、実際に彼は自分がヒップホップをやるきっかけになった人物との曲づくりが実現しているとも教えてくれた。ヒップホップを愛し、研究してきた彼は、実際に「アフリカのベストラッパー」と呼ばれるまでMCとしても成長した。その上で、様々な国に出向き、繋がりを作っている彼の名は、これからさらに世界中に広がるであろう。

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