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ラップ・ロック ≠ エモ・ラップ、ジャンルのクロスオーバーに見る関係性の逆転

text: Takeaki Iga

 

昨年急逝したリル・ピープや、今年3月にリリースした『?』がビルボード1位を獲得したXXXテンタシオンなど、ここ数年<エモ・ラップ>と呼ばれるジャンルが興隆を見せている。彼らの楽曲にはインディー・ロックのサンプリング音源が使用されていたり、歌詞の内容が自殺願望やドラッグ使用など鬱屈した感傷的・内省的なものだったりするのが<エモ>と呼ばれる所以である。しかし、歴史を振り返ればロックとヒップ・ホップのクロスオーバーは<ラップ・ロック>や<ニュー・メタル>などとロックのサブ・カテゴリに分類されてきた。しかし<エモ・ラップ>は<ラップ>であり、ヒップ・ホップのサブカテゴリであると広く認識されているように思う。この差はどのように生まれたのか、歴史をひも解き、世代の違いからその背景を探る。

 

ヒップ・ホップ×ロック、その交流の歴史

 

And rapping over rock doesn’t make you a pioneer

‘Cause rock and hip-hop have collaborated for years

「ロックの上でラップしてもパイオニアにはなれやしないのさ

だってロックとヒップ・ホップは長きにわたってコラボレーションしてきたんだから」

(リンキン・パーク「Step Up」より)

 

 

ヒップホップが誕生したばかりのころ、音源の主なサンプル源はファンクやディスコであった。では、どのようにしてヒップ・ホップとロックは出会い、交流するようになったのか。その歴史を振り返った時、一人の重要人物が浮かび上がる。リック・ルービンである。言わずと知れたDef Jamの設立者である彼だが、彼のプロデュース作を見てみると、それらが見事にヒップ・ホップとロックのクロスオーバーの歴史と重なるのがわかる。

最初に触れるべきはビースティー・ボーイズであろう。1984年にDef Jamと契約した彼らは、パンク・バンドからヒップ・ホップユニットへと路線変更。白人のヒップホップユニットとして初の成功を収めるが、革新的だったのはロックをヒップホップに取り込んだ点にある。

 

 

続いてリック・ルービンは1986年にランD.M.Cとエアロスミスのコラボレーション「Walk This Way」を実現させ、当時落ち目であったエアロスミスの二度目のブレイクのきっかけを作った。

その後、彼がプロデュースしたのは何とスラッシュ・メタルバンドのスレイヤー。1986年リリース『Reign In Blood』はパンクの持つ破壊衝動とメタルの持つ攻撃性を見事に融合した傑作であり、「スラッシュ・メタル」というジャンルの確立に貢献した。このアルバムは今に至るまで後進のメタルバンドたちに多大な影響を与えた金字塔である。

そのスレイヤーの楽曲「Angel of Death」をサンプルしたのが、これまた何とパブリック・エネミーである(1988年、「She Watching Channel Zero?!」)。もともと<何でもあり>のサウンド・コラージュ的なプロダクションを得意とするプロデュース・チームのボム・スクワッドではあったが、両方のプロデュースをしていたリック・ルービンの影響がなかったとは考えにくい。そしてのちに、パブリック・エネミーは同じくスラッシュ・メタルバンドのアンスラックスと「Bring The Noise」でコラボレーションを行った。

 

 

重要なことなので、ここでいったん整理しておきたい。この80年代後半から90年代前半にかけてのヒップホップとロックのコラボレーションは、<交流>という言葉がふさわしいような相互的なものであった。一方的にサンプリングするだけではなく、当人同士が制作に関与するなど、ともに現役であるアーティスト同士の共時的なコラボレーションだったのである。その証拠にこれらの楽曲は<ラップ・ロック>や<メタル・ラップ>のような一つのジャンルを形成するものではなく、流行となりシーンを形成するものではなかった。良くも悪くも刹那的な<コラボレーション>だったのである。

リック・ルービンのプロデュースワークに話を戻すと、この後彼はレッド・ホット・チリ・ペッパーズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、システム・オブ・ア・ダウンなどいわゆる<ミクスチャー・ロック>と呼ばれるバンドを多くプロデュースしている。この時期になるとヒップ・ホップとロックの<コラボレーション>の時代は終わり、ロックが<ラップ>という歌唱法を取り入れるという手法が王道となった。

 

 

そしてさらに時代が進み、彼がリンキン・パークやリンプ・ビズキットといったバンドをプロデュースする頃になると、ロックは<ラップ>という歌唱法のみならず、サンプリングという楽曲製作法、ターンテーブルを用いたスクラッチという演奏方法すら取り込み、<ラップ・ロック>や<ニュー・メタル>というジャンル・シーンを形成していった。

 

 

リンプ・ビズキットがメソッド・マンと共演し(「N 2 Gather Now」)、リンキン・パークがジェイ・Zとコラボアルバムを制作するなど(『Collision Course』)、またも両者の<コラボレーション>の時代がやってくるかのように見えた。しかし、エミネムがリンプ・ビズキットのフロント・マンであるフレッド・ダーストに対してディス発言を行ったことなどに代表されるように、ヒップホップはいつしかラップ・ロックを敵とみなし、徹底的に攻撃したのだった。

 

 

加えて、リスナーの支持に極端におもねったラップ・ロックのシーンは多くの<コピー>を生み出し、結果、リスナーにも飽きられてしまい、空中分解した。このラップ・ロック対ヒップホップという対立は、ヒップホップの勝利によって終焉を迎えたのである。この<ヒップ・ホップの勝利>は次章において極めて重要な意味をもつことになる。

最後に、もう一つ重要なリック・ルービンのプロデュース作を挙げて、本稿前半を締めくくることにしよう。それはカニエ・ウエスト『Yeezus』(2013年)である。これまでに取り上げた作品と比べるとロックとの関係性は希薄であるが、現在のエモ・ラップが持つ内省的な空気感を先取りした作品と見ることもできるのではないだろうか。

このように、リック・ルービンという一人のプロデューサーを軸に見るだけでも、ヒップ・ホップがロックに出会い、交流し、やがてロックに打ち勝つというここ30年のポピュラー音楽シーンの歴史が読み解ける。そして、この歴史が生み出した新しい世代こそが、<エモ・ラップ>の興隆を生み出すこととなる。

 

<ポスト・ヒップホップ・ジェネレーション>が生み出した<エモ・ラップ>という現象

 

2002年、『The Hip-Hop Generation: Young Blacks and The Crisis in African American Culture』という著書の中でジャーナリストのバカリ・キトワナは<ヒップホップ・ジェネレーション>という世代を定義した。「1965年から1984年の間に生まれたアフリカン・アメリカン」がその定義である。この定義を当てはめると、その世代を親に持つ現代の若者は<ポスト・ヒップホップ・ジェネレーション>にあたる。ここで<ポスト>は単に「~の後の」という意味ではなく、「~の影響下にある」「~が当たり前になった」という意味を持つ。昨年、アメリカでもっとも聴かれている音楽のジャンルがロックからヒップ・ホップへと交代したことが一つ象徴的な出来事となったが、1996年生まれのリル・ピープ、1998年生まれのXXXテンタシオンなど現在活躍している多くのラッパーが属するこの世代にとって、ヒップホップという文化は当たり前になっている。この<世代>こそが、<エモ・ラップ>という現象を説明するキーワードではないだろうか。

さらに、この<ポスト・ヒップホップ・ジェネレーション>はアフリカン・アメリカンに限らない。ラップ・ロックの興隆やエミネムの登場によって、白人層にもヒップ・ホップが受け入れられる土壌が作られた。つまり、一つ前の世代のロックが担っていた役割を、今ではヒップホップが担っているのである。前章で見た<ヒップ・ホップの勝利>が新たな世代を形成し、ジャンルの関係性は逆転したのだ。ロックがかつてヒップホップからラップやサンプリング、スクラッチを取り込んだのとは逆に、ヒップホップがロックから内省的な世界観、叫ぶような歌唱法、さらにはライブでのモッシュなど様々なものを取り込むようになった。

ここで、リル・ピープの「The Brightside」(2017)のミュージック・ビデオを見てみよう。

 

 

このビデオに写っているライブ会場のファン達の客層・ファッションがこの世代を物語っている。客の多くは白人のティーンエイジャーであり、タトゥーやピアスが目立つ。このようキッズたちは10年前ならばマイ・ケミカル・ロマンスやニルヴァーナなどを好んで聴くような<エモ・キッズ>だったのではないか、という想像が働く。

 

 

しかし彼らが今聴いているのは<エモ・ラップ>である。彼らは今マイ・ケミカル・ロマンスやニルヴァーナなどではなく、その影響下に作られたヒップホップを聴いている。ドラッグ使用や自殺願望は、これまでは主にロックが歌ってきたトピックだった。しかし<ポスト・ヒップホップ・ジェネレーション>の若者がそれを表現するときに選ぶ方法はロックバンドで歌うことではなく、ヒップホップでありラップなのである。思考の土台がヒップホップであるというのは言い過ぎかもしれないが、それほどまでにここ10年間でアメリカにおけるヒップホップの持つ影響力は強大なものになっていたのだ。

 

このことは二つのことを教えてくれる。一つ目は、いつの時代も若者が表現したいこと・聴きたいと欲すものは変わらないということ。二つ目は、その表現の方法は世代によって形を変えるということだ。

 

ヒップホップの歴史をひも解いた大著『ヒップホップ・ジェネレーション(原題:Can’t Stop Won’t Stop: A History of the Hip-Hop Generation)』の中でヒップホップ・ジャーナリストのジェフ・チャンは前述の<ヒップホップ・ジェネレーション>の定義を紹介したのちにこのように述べている。

「それじゃ、ヒップホップ・ジェネレーションの始まりはいつなんだ?その問いに私はこう答えたい。DJクール・ハークとアフリカ・バンバータのあとだ、と。ジェネレーションに含まれるのは?ヒップホップを愛する人なら誰でも。ジェネレーションの終わりは?新たなジェネレーションが教えてくれる。」

エモ・ロック、グランジなどが持っていたものを、<ポスト・ヒップホップ・ジェネレーション>の作った<エモ・ラップ>が引き継いだ。この次の世代はここから何を引き継ぎ、どんな音楽でそれを表現するのか。世代の移り変わりを待たねば、その答えは出ない。

 

出典・参考

Blacks and the Crisis in African-American Culture Paperback (Civitas Books / 2003) by Bakari Kitwana  

ヒップホップ・ジェネレーション(リットーミュージック / 2016)by ジェフ・チャン(著)、押野 素子 (翻訳)

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