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BUDDHA BRAND:”メジャー契約をしてみた結果”(前半)【インタビュー書き起こし】

渡辺:というわけで今日はOG中のOGをお招きしております。BUDDHA BRANDのお二人、CQさんとNIPPSさんです。よろしくお願いします。

CQ・NIPPS:よろしくお願いします。

CQ:あれ? 今日はこっちに(席を)移らないの?

渡辺:そうなんですよ。今日はこちら、向かい合ってしゃべるスタイルで進めていこうと思うんですけども。で、80年代後半から90年代前半にかけてのニューヨークでBUDDHA BRANDは結成されたということだと思うんですけども。当時、みなさんで絶対にこれは盛り上がる定番の曲とかアルバムとか、そういった当時のヒップホップの作品って思い出など、ありますか?

NIPPS:いっぱいあるよ。たとえば……俺たちは85年ぐらいに知り合っているんだよね。85、6年。で、俺が当時、ADみたいな仕事をしていて。ちょうどその頃はね、日テレで『ズームイン!!朝!』っていう番組をやっていたんだけども。それの照明をやっていて。その時にマスター(DJ MASTERKEY)が遊びに来ていたんだよね。映りに来ていて。で、なんか何週かに渡って来ていたんだよね。それで「なんか気になるやつだな……」って思って声をかけて。「なに、君? どうしたの? 何者?」みたいな話になって。それで意気投合して。「ちょっと一服しに行こうか」みたいな話をして。

で、「俺はこれからDJになりたいんだけど、それにあたって知恵がない。全くわからないんだ」って言うから。「じゃあ……」って。その当時、ブロードウェイと42丁目にあるブレイクビーツっていうレコードシリーズ、コレクションがあるんだけども。それを作った白人のジョーっていうおじさんがやっていたミュージックファクトリーっていうレコード屋があって。当時のプロデューサーだとかなんとか、みんなそこでネタやブレイクビーツを買ったりして曲を作っていて。その当時のラッパーがすごいそのレコード屋に出入りをしていたの。

渡辺:へー!

NIPPS:で、そこに連れて行って、その印象に残る1枚じゃないけども、その中の1枚がエリック・B&ラキムの『Paid In Full』っていうアルバムで。それをマスターに勧めたんだよね。「これから聞いてみれば」って。盛り上がる1枚っていうか……あとはブレイクビーツとかも盛り上がっていたよね。『Apache』とか。

CQ:でも、ヒップホップ自体がすごいガーン!って来ている時だから。街を歩いているだけで流行っている音楽がわかるから。みんな車でもうるさいし、店とかでも結構かけているから。それで種類、そんなに数がなかったんだよね。少ないんだけども、その中にクイーンズとかブルックリンとかブロンクスとか、微妙に派閥があって。もうニューヨークしかなかったんだよ。

NIPPS:ニューヨークでしかかからないっていう。

CQ:そう。他の地域の人のことは全くわからない。いたんだろうけども。ニューヨークの音楽しか聞いてなかったのかもしれないね。

NIPPS:そうだね。ニューヨークサウンドだよね。俺もそういう解釈だった。

渡辺:ちなみに当時はクイーンズとかハーレムとかブルックリンとか。どこでみなさん、つるんでらっしゃったんですか?

NIPPS:俺たちはマンハッタンだね。マンハッタンのロウアーイーストサイドだね。後々の。俺はずっとクイーンズにいたんだけど。で、マスターとクリちゃん(CQ)が同棲をしていたんだよね。

CQ:同棲して。俺がネコの方で……。

渡辺:フフフ(笑)。

NIPPS:俺は見る方で。さるぐつわとかして見る感じで。

CQ:「いいだろ?」っつって。

NIPPS:「ウウウーッ!」って。全然音楽の話とは関係ないけども。

渡辺:アハハハハハッ! でも当時のロウアーイーストって……いまもすごいカルチャーな街ですけども。当時のロウアーイーストサイドってどういうバイブスの街だったんですか? いろんな人がいる?

CQ:怖い感じはあったね。ヘロインとかを家の前で打っているとか。

NIPPS:そう。もうヘロイン通りに住んでいたから。隣の隣の家に行列ができちゃっているのよ。

CQ:もうすぐ買えちゃうから。「よし、買いに行くか!」ってすぐに、セブンイレブンみたいな感じで。

渡辺:ちなみに当時……いまだと「ああ、この曲かっこいい」って思ったらすぐにソーシャルメディア、TwitterとかLINEとかでみんなにシェアとかできますけども。当時は「あ、この『Paid In Full』、めっちゃかっこいいじゃん!」ってなった時はみなさんでどうやってシェアをされていたのかな?って。

NIPPS:あのね、それはやっぱり口コミの情報と、あとはミックステープの交換。「ああ、クリちゃん。ミックステープ作ったから」って。俺もDJは下手くそなんだけども。だけどそれでも選曲には自信があったのよ。耳は肥えているつもりだったから。「クリちゃん、これかっこいいよ!」っていう話をしたりとか。あとはラジオを聞いて。だから「昨日のラジオ、聞いた?」みたいな。

CQ:ラジオがもう全てだね。

NIPPS:そう。ラジオが全て。本当に。ニューヨークの子たちはみんなラジオで育ってきていると思う。

CQ:売っているレコードは買えるじゃん。聞くこともできるしさ。でも、ラジオですげえかっこいいのがかかって。「これ、何なんだ?」ってなると、最悪っていうか昔、ウォークマンっていうのがあって。知ってる?

渡辺:もちろん!

CQ:それを持っていって、録音したのを店員に聞かせて「これ、なんだ?」とかって言って。まあでも、だいたいわかんないんだけども(笑)。プロモ盤とか、あんまり出てないやつで。それでだいたい1ヶ月後とかに出たりするんだけども。

渡辺:当時、だからそれで「じゃあBUDDHA BRANDを結成しよう」ということになってラップを始めるわけじゃないですか。当時、ニューヨークの特にマンハッタンのあたりのコミュニティでアジア人がラップをするっていうことに対して、なにか周りから特別なりアクションってありました?

NIPPS:っていうか、周りの人は知らなかったもん。俺たちのこと。

CQ:無視だね。軽く。

NIPPS:でも俺、たぶんいなかったと思う。周りにラップって……いまだに聞いたこともないし。

CQ:たまに俺らがやっても、写真とかを撮って見るとみんな全然違うところを見ていて。俺らのことを見てないじゃんっていう。そういう写真、少し悲しくなるんだけども。俺なんかはもうやることをやるだけだから。というか、クラブっていうかそういうところに日本人がいないから。だいたいが黒人しかいないから。そこでやって、「なにを言ってんのかわかんねえし」っていう感じなんだろうけど。

渡辺:へー。じゃあもう最初から、たとえばいまでこそBUDDHA BRANDと言えば英語と日本語が混じったような、ああいうユニークなフロウでみなさん、認知をされていると思うんですけども。それもごく初期の頃から変わっていないスタイルなんですか? たとえば、最初は英語だけでやられていたとか?

NIPPS:いや、俺は最初からあのスタイルだった。日本に帰ってきてから、だんだん日本語が増えてきたけど。

CQ:まあ、意図的にやっているわけでもなく……っていう感じだよね?

NIPPS:なんとなくそうなったんだよね。たまたま英語ができたりするから。ちょっとだけ。ちょっとだけできる英語を使ってみようかなって。で、ちょっとだけできる日本語も入れて……みたいな。

渡辺:でもNIPPSさんとかずっとニューヨークに住まわれていたっていう……。

NIPPS:俺はずっと住んでいた。20年ぐらい住んでいた。

渡辺:すっごい。でもそれで当時、BUDDHA BRANDをニューヨークで結成をして日本に帰ってこられるわけじゃないですか。95年あたりに。それで帰ってきてからどうやって、まずはもともと日本で当時活躍されていた……たとえばMICROPHONE PAGERであるとかキングギドラであるとか、そういったみなさんと最初はどのように交流をしていったんですか?

CQ:なんかペイジャーに関しては年に何回か、MUROとか買付けだか知らないけど来ていて。誰かの家に泊まったりして、少しだけ音源も聞いたことがあったけども。

NIPPS:っていうか、なんかの雑誌で日本のその当時のヒップホップの地図、マップみたいなのを作っていて。で、ブッダはどこにも、孤立しているんだよね。離れ小島なんだよね。ブッダだけ。どこともリンクがないっていう。

CQ:仲が悪いわけでもないけど、いいわけでもないっていうね。

NIPPS:そういう風に見られていたっぽいっていうね。で、「ああ、そうか。よかった」って思っていたんだよね(笑)。

渡辺:フフフ、そうなんですか。逆に。

NIPPS:デモテープが出回っていたんだよね。BUDDHA BRANDのね。その当時。それで噂になって。「ニューヨークにこういう日本人がいて。こんなラップをするんだよ」っていう。それで、帰国する前から噂になっていて。DEV LARGEが結構コミュニケーションを他のいろんな人と取っていたから。みんなに「聞いてください、聞いてください」って。プロモーションだったりとかも積極的に自分で進んでやったりしていて。それで石田さん(ECD)が『さんぴんCAMP』をやるっていうんで、なんかそのために曲を作るっていうことで帰ってきたんじゃないのかな? 日本に。

渡辺:ああ、そういう流れもあったんですか?

NIPPS:それがたまたま、そのメジャー企画の仕事で。DEV LARGEが「どうしようかな? このレーベルでやっていっていいのかな?」なんて俺に言っていて。俺はヒデ(DEV LARGE)に「カッティング・エッジはエイベックス・グループのところだから。お金はあるから絶対にエイベックスでやった方がいいよ」って言ったんだよね。そしたらあいつ、急に「そうだよね、デミさん(NIPPS)! そうだよね!」ってなって。だけど、今度は「じゃあどこか事務所に入る?」っていう話があったの。「事務所に入れば毎月、だいたい20万円ぐらいみんなに給料が出るよ」っていう。「おっ、いいじゃーん!」っていう感じだったのよ、俺は。

渡辺:フフフ、「それそれ!」みたいな。

NIPPS:「いいじゃん、いいじゃん。来た来た!」っていう感じで。だって俺とか、全然金がないんだよ。でも、ヒデはまたそこで「いや、メジャーと契約したらなんかやりたくないことまでやらされるから嫌だ!」って言っていたの。で、俺は「そんなことないよ。好きなことをやりながら給料をもらえばいいんだよ」って思ったのね。でも結局、まあいろんなことをやらされるような感じもあったから。「じゃあ、やめようか」っていう感じで流れていって。で、そうこうしているうちにシングルを何枚か切っていって。それで「棚を埋めよう」って。CDの……とりあえずバンと一発アルバムを出すんじゃなくて、シングルを何枚か切っていって。やり方は向こうのアナログの売り方と一緒なんだけども。シングルを切っていって……それで俺、金とかもらっていたのかどうか、覚えてないんだよね。

CQ:俺も覚えてないんだよ。たぶんもらってないよ。

渡辺:そうですか?(笑)。

CQ:もらってない、もらってない。

NIPPS:もらっていないような気がするけどね。で、なんか出したら、「これだけ売れたんですよ!」っていうことになって。それで俺、なんか本根(誠)さんっていう当時のディレクターに呼び出されてさ。なぜか。「デミさん、今回ね、これだけ売れたから。デミさんはこれぐらいお金が入ってくるよ」って言われて。でも俺、実感がわかなくてさ。

渡辺:結構な額だったんですか?

NIPPS:うん。結構な額。でもたぶんDEV LARGEは俺の10倍近く……。

渡辺:まあ曲もね、作ってらっしゃるし。

NIPPS:10倍近く稼いでいたと思うんだけど。たぶんヒデがいちばんひっくり返ったと思うよ? もう人間変わっちゃったと思うよ、あれ。変わったわ、あいつ(笑)。

渡辺:でも、まさに私もその時代にすごいBUDDHA BRANDを知って。もちろん他の日本語ラップのレジェンドの方の曲も聞いて……っていう感じだったから。そのエイベックスさんとかそういう資本のプッシュがあってこそ、いろんな恩恵を受けたなっていう風にいまとなっては思いますね。

NIPPS:ああ、そうだよね。

CQ:みんなエイベックス……YOU THE ROCK★とかとDEV LARGE、たぶん最初仲良かったのかな? だからみんな、意外とエイベックス、カッティング・エッジの人なんだよね。

渡辺:そうですね。私も当時、エイベックスさんとカッティング・エッジさんの共同のコンピレーションアルバムを買って。そこにユウさんとかあとはBUDDHA BRAND、あとはオースミさんたちが入っていて。もちろん石田さんとかも入っていて。それで「ああ、こんなにいま、日本語ラップってラインナップがあるんだ」っていうのを当時、知ったんですよ。たぶんその功績ってめちゃめちゃ私の世代のリスナーにとってはあるかなって。

CQ:たぶん金を持っていたからね。浜崎あゆみとか、いろいろと売れている人がいたから。いまはわからないけども。それでできて、赤字にはならなかったんじゃないかな?

渡辺:うんうん。後半でまたさらに楽曲を作る時のプロセスとか、そういったお話もうかがいたいなと思っておりますので。一旦ここでおしまいにさせていただきたいなと思います。というわけで今日はBUDDHA BRANDのCQさんとNIPPSさんをお迎えしてお届けしました。

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