Text & Interview: Kaz Skellington
ヒップホップ業界のビジネスマン
と言うとドクター・ドレーやDiddyなどの存在を思い浮かべる人も多いだろう。二人とも表舞台で活躍するアーティストでもあるが、裏方に徹しつつも、2000年代を代表するヒップホップCEOとして、ひときわ存在感を放ってきた人物がJason Geter(ジェイソン・ジーター)である。彼はT.I.を発掘したあと、彼と一緒にGrand Hustleというレーベルを立ち上げ、トラヴィス・スコットやB.O.B.も輩出してきた。この度そんなヒップホップ業界において非常に重要な役割を担ってきた彼にインタビューをすることができた。
➖音楽との出会いを教えてください。
Jason:ブルックリンで育って、5歳のときに親が離婚して、ブロンクスに引っ越したんだ。80年代だったんだけど、上の階に「Peewee’s Dance」で大ヒットしたJoeski Loveが住んでいたんだ。
Boogie Down ProductionsのD-Nice、Graig G、Lord Finesseなどが、彼の家に遊びに来てたりして、常にヒップホップが自分の周りにあったんだ。1986年とか1987年で、まだヒップホップが若かった頃だ。
➖ちょうどEric B. & Rakimが出てきたときぐらいですね。
Jason:そうそう。同じ建物に住んでた友達と、12インチのアナログをよく聞いていたよ。小学校3年生とか4年生とかだったね。当時は周りにラッパーやMCも多くて、外に出ればサイファーやダイスゲームをやってる人たちがいた。ずっと周りに文化があって、恋をしたんだ。
デフ・ジャムの創成を題材にした映画「Krush Groove」のRussel Simmons役を見て、「この人のようになりたい」って思ったんだ。小学生のときに、既にラッパーではなくて、ビジネス側の人になりたいと思っていた。
➖ご自身で音楽活動をやっていたことはありますか?
Jason:いや、学校で楽器をやる以外にはやったことはない。かなり早い段階で、ビジネス側を志したから、自分で音楽をやるよりミックステープを作って売ったりしていたんだ。アーティストやビートメイカーとの繋がりを作ったりしていた。
➖具体的に音楽のビジネス方面で活躍するぞ、と決めた瞬間などはあったのでしょうか?
Jason:高校一年生のときに、学校の「キャリア・デイ」で、Uptown RecordsのA&Rがクラスにきて話してくれたんだ。今まで「Krush Groove」や、作品クレジットを見て勉強をしていたけど、実際に働いている人から話を聞くことができた。A&Rがどういう仕事かを紹介してくれたんだけど、その瞬間に共鳴したよ。
あと高校では、自作のミックステープを売って、お小遣いを稼いでいた。プレイリストのように、ベストな楽曲を集めたテープを学校で売ってたんだ。他の子たちがお菓子とかを売っているときに、私は自作のミックスを5ドルで売ってたんだ。
高校を卒業する前に、Arista Recordsで、インターンシップをすることが決まった。1995年だったんだけど、当時はバッドボーイ・レコーズもLa FaceもArista Records傘下だった。彼らが自分のやりたいことをやって、金を稼いでいる姿を見て、自分のキャリアを決めた。
➖ T.I.を発掘したことが大きな転機となりましたが、T.I.の1stアルバムもArista Recordsですよね?そのインターンシップの繋がりで契約をしたのですか?
Jason:それは本当にただの偶然で、自分のレーベルから出した最初のアーティストが、たまたま自分の古巣と契約したんだ。
➖縁が巡り巡った感じですね。T.I.とはどのようにして出会ったのですか?
Jason:20歳のときにアトランタに引っ越したんだ。元々バージニアのハンプトン大学に通ってたんだけど、1年で辞めたんだ。高校卒業前に、Aristaでインターンしてたのもあって、自分が何をやりたいのかを明確に理解していた。大学でやっていたことは、それとは違った。
➖地元であるNYでも、音楽業界は大きいと思うのですが、なぜそのタイミングでアトランタだったのでしょうか?
Jason:当時NYではバッドボーイが一番勢いがあって、文化的にも一番インパクトがあったんだ。でもAristaでインターンしてて、内部の数字とかを見てると、アトランタをベースとして活動していたLa Faceのほうが5倍ぐらい大きかった。当時はOutKast、TLC、Usher、Toni Braxton、Babyfaceなどがいて、一つのレーベルにとんでもない数のヒットを出している黒人アーティストが集まっていて、どの地域よりも興味深く感じた。
そこでPatchwerk Studioというスタジオで働きはじめたんだ。そこは1階がスタジオになっていて、2階がインディーズ・レーベルとなっていた。レーベルにはRas Kass、Voodoo、Meen Greenが所属していて、アトランタのスタジオと言ったら、Patchwerk Studioだった。OutKast、UGK、8 Ball & MJGなどもレコーディングしていたスタジオで、アトランタにきたアーティストにとっての定番スタジオだった。
Jason: 昼間は上のレーベルで働いて、夜はスタジオの受付で働いていた。スタジオの受付で働いたことにより、アーティストだけじゃなくて、プロデューサーやマネージャーと出会うことができた。
そこの出会いを活かして、訪れるアーティストのA&Rをやったりしていたんだけど、途中で「自分のアーティストを見つけないと」って思ったんだ。そこでDJ Toompと一緒にラッパーを探そうという話になった。彼は良いビートを作るけど、されるべき注目がされていなかった。「君は南のDr. Dreのような存在になるべきだ。だから君にとってのスヌープを見つけよう」って誘った。
➖T.I.のどういうところに惹かれて、「この人と一緒に仕事がしたい」と思ったのですか?
Jason:彼は何よりもリリシストだったんだ。私はNY出身なのもあって、リリックを重要視していた。あと彼と最初に会ったとき、彼がラッパーだと知らない状態で1時間ぐらい話すことができたんだ。彼の音源は聞いたことがあったけど、会うのは初めてだった。だから、いい感じで1時間ぐらい会話をした後に「そういえばラッパーの彼はいつ来るの?」と聞いたら、「いや、俺がそのラッパーだよ!」って言われたね(笑)。そのおかげで、お互い自然に会話ができたんだ。
彼は最初から「スター」の素質を持っていた。憧れの対象であり、モテるというスター性を持っていたんだ。部屋に入ったら、注目され、主導権を握ることができる存在だ。
➖他のアーティストと仕事するときも、求めるのはそのような要素なのでしょうか?
Jason:そういう気持ちになれる人がいいな、とは思っている。自分は熱意で動く人だから、アーティストに対してパッションを持っていたい。
もちろん音楽「業界」だから、ビジネスとして「このアーティストが今熱いから一緒にやる」というのもあるけど、自分の全力を引き出すには、アーティストに対して熱意を込めていないといけない。
好きじゃないことを無理矢理やってると、エネルギーが吸い取られていくんだ。もちろんそれが成り立つこともあるけど、人生を変えるほどのことは起きない。
➖カムアップをしているアーティストのために、ご自身がカムアップしていたときのエピソードなどを教えていただけますか?
Jason:自分がやらないといけないことにフォーカスをし、よく学び、準備をする。私たちにもアップダウンがあった。最初にAristaと契約した後も、契約を解消するために何度も掛け合ったし、解消した後はインディペンデントで活動していた。信念を持ち続け、自信を持ち続けることも重要だ。
➖1stアルバムがAristaからですが、2ndアルバムがAtlanticからリリースされました。その間、どのような活動をしていたのですか?
Jason:Aristaから離れ、インディペンデントになったんだ。その当時は、50 CentがまだNYでミックステープを売りさばいている時期であり、彼はアーティストがプロモーションのためにミックステープを作るという流れを世に広めた人だと思う。彼に倣って、自分たちもミックステープのシリーズ「In Da Streets」をはじめた。
Vol.2をリリースした頃には、ストリートでかなり熱いラッパーとなっていて、多くのレーベルが争奪戦をするようになった。当時は自分たちで南全土をツアーしていて、現地にあるレコード屋にミックステープを配送して、売ったりしていた。
Jason: もちろん人生はたくさん大変なことあるし、上手くいかないことだらけだけど、ニプシー・ハッスルが言っていたように、人生は「マラソン」なんだ。人よりスタートが速い人もいるけど、ゴールにたどり着くまでの持久力がない人もいる。他の人がどうしてるか気になると思うけど、マラソンをしているときは、自分との戦いで、他の人のペースではないんだ。自分のレーンで、フォーカスし続けることが重要なんだ。誰もが、自分のなかに素晴らしい点を持っているから、それに掘り続けて、その点に集中したほうがいいと思う。
➖アーティストとかで、好ましくない契約を結んでしまって失敗する人も多いと思うのですが、音楽ビジネスで契約をする上で、気をつけていることはありますか?
Jason:自分の「選択肢」を全部把握して、理解することかな。例えば「列に並びたくないから、お金を多めに払うか、そのまま並ぶか」ということと似たような感じで、自分の希望を叶えるために、何を手放しても大丈夫なのか?何を手放せないのか?ということを理解して、自分の前にあるオプションから適切なものを選ぶこと。何が今の自分にとって、論理的に適切なのか、長期的にも戦略を立てる。
もし自分がアーティストだったら、短い期間や少ない枚数の契約とかに持ち込みたいかもしれない。「アルバム2枚契約とかを結んで、レーベルのリソースを使わせてもらって、それが終わったらインディペンデントになる」とか。今のアーティストには合ってる方法だと思う。昔は7枚契約とかもあったし、一生抜け出せない場合もあった。
今と昔では、音楽を作るために必要なリソースや予算も違ったからね。昔はスタジオでレコーディングをするって物凄くお金がかかったけど、今ではアーティストに投資をしなくても、失敗したらとりあえず違うアーティストに切り替えればいいと思っているレーベルもある。便利になった反面、アーティストを成長させる投資をせずに、消費的になってしまった業界でもある。