FEATURED

Juice WRLDのレーベル担当者が語る、彼と日本で過ごした思い出。日本を愛した、ファン思いの才能溢れる若者。

 

昨年末に、21歳の若さでこの世を去ったJuice WRLD(ジュース・ワールド)。そんな彼の遺作となるアルバム「Legends Never Die」が先日リリースされ、初日に7460万回再生されことにより、今年リリースされたThe Weeknd、Eminem、Bad Bunnyのアルバムの初日再生数を超える記録となった。Juice WRLDのキャリアにて多く表現されていた不安、ドラッグとの戦い、愛などがメインテーマとなっており、彼はその繊細さを惜しみなく「等身大の感情」として歌っている。

 

この度、そんな彼と交流があり、日本で彼を担当していたユニバーサル・ミュージックの飯島沙来さんにJuice WRLDとの思い出を聞くことができた。飯島沙来さんはHIP HOP DNAの立ち上げメンバーであり、2018年の10月には「HIP HOP DNA: THE LIVE Vol.1」にてJuice WRLDの初来日をホストした功労者でもある。Juice WRLDはどのような人物だったのだろうか?HIP HOP DNAにも縁が深く、日本を愛していたJuice WRLDのレガシーを伝えるために、彼の素顔を知る飯島さんが思い出を共有してくれた。

 

 

Juice WRLDとの思い出 by 飯島沙来(ユニバーサル・ミュージック)

 

2019年の12月にJuice WRLDが亡くなる前日まで、私は彼とグループメッセージでやり取りをしていました。そして実は、その10日前まで彼は日本に滞在しており、その時も一緒に過ごしていたのです。HIP HOP DNA: THE LIVE Vol.1にてJuice WRLDの初来日をホストした者として、そして彼のレーベルの人間として、遺作が発表されたこのタイミングで、Juiceとの思い出を少しだけお話しできたらと思います。Juice WRLDという人物のことを日本でももっと知ってもらいたく、また貴重な時間を一緒に過ごさせてもらったので、思い出を独り占めせずにHIP HOP DNAの読者の皆様と共有できたら嬉しいです。

 





 

ユニバーサル・ミュージックでは、HIP HOP DNAというプロジェクトを始動するために、2017年の下旬からチームで動いてました。2018年の4月に無事メディアをローンチする事ができたのですが、海外アーティストを招致して日本でライブを企画するという要素は、「ヒップホップのマーケットを広げたい」というDNAの理念的にも、非常に重要なものだと当初から考えておりました。

 

記念すべき第1回目には誰を招致しようと、チーム内で考え、海外とも協議を重ねました。新しめのアーティストで、勢いがあり、皆で盛り上がれる曲があるというのが必須条件であり、他社様のメディアでも取り上げてもらえるような、日本で育てていける、日本の洋楽ヒップホップシーンを盛り上げてくれるアーティストを是非招致したいと考えておりました。

 

本格的にアーティストの選定をしはじめた2018年6月の時点では、Juice WRLDは既に米国のヒップホップシーンを語る上で欠かせないアーティストになっておりました。「Lucid Dreams」はロングヒットを経て、全米チャート2位になっており、デビュー・アルバム「Goodbye & Good Riddance」も全米チャートでトップ5に入っていました。クラブヒットもあり、申し分ないどころか、来日してもらえたら最高すぎるアーティストでした。早速、インタースコープ(所属レーベル)の担当者と一緒にJuiceのチームと交渉し、粘った結果、来日が決定することになりました。その当時、Juiceは19歳でしたが、既にスターで、アメリカの大きなフェスのオファーを断り、来日する事を決めてくれました。

 





 

来日当日、空港から彼らが出て来るのを待ち、そのときが初対面となりました。当初一緒に来日する予定だった「Lyrical Lemonade」のCole Bennettや、Juiceのチーム「Grade A Productions」の社長Lil Bibbyの姿はなく、予定とは全く違ったメンバーで彼は登場しました。彼と過ごしていて、「自由だな〜」と常々思っていた記憶があります。バックDJの代わりに、急遽その当時付き合い始めて数ヶ月の彼女、Allyを連れて来ると決めるあたり、彼の自由さが出ていたと思います(笑)。しかしその後、AllyはJuiceにとって、なくてはならない存在になり、MVにも度々登場することにもなりました。「運命」という言葉が似合う二人になっていきました。

 

空港を出てからも、彼のテンションは高く、ホテルへ向かう車の中でも、ずっとフリースタイルをしていました。誇張ではなく、ずっとしていました。3泊4日のスケジュールの移動中も、ずっと音楽をかけているか、フリースタイルをしていて、マネージャーは「ちゃんとRecしておけばリリースできる作品になるのに…」と言っていました。その様子を見て、「彼はいつもこんな感じなんだー」なんて思った記憶があります。さらに彼は毎晩スタジオに入ってレコーディングをしているとのことでした。3000曲も録り溜めており、音楽が好きで才能が溢れるアーティストとは彼の事だなと思いました。

 

ホテルへ荷物を降ろした後は、渋谷で買い物に出かけたり、ご飯を食べました。他の売れてるラッパーは、取材を一切受けない人も多いのですが、Juiceは来日翌日にも関わらず、本当によく働いてました。時差ボケの中、取材を10本以上こなしており、本当に働き者だなと感心しました。合間にYoung Thugといきなりテンション高めでFaceTimeをしたりで、彼は楽しんでいるようでした(笑)。

 

仕事の後、雨の中、原宿のNubianに行ったのですが、爆買いのお会計するスタッフを待っているときに、高校生の頃にお母さんに沢山心配をかけてしまった話などをしてくれました。そんな話をしているときに、インターナショナル・スクールらしき高校生たちがJuiceの存在に気がつき、話しかけてきました。彼はとても優しく対応をし、「Ski Maskってどんな感じなの?」と聞かれたときには、「めちゃくちゃいい奴でー」と丁寧に返していました。彼がいかにファンのことを思っているのかが伝わってきました。ファンの話を聞き、自分の話もしていたのを鮮明に覚えています。本当に、ファンと近い人でした。

 

 

Halseyとの出会い

 

当時、私はHalseyというアーティストも担当していたのですが、彼女もJuiceと全く同じタイミングで来日をしていました。そのため、HIP HOP DNAのイベント直前は、Halseyチームとも頻繁に会っていたのですが、彼女たちに「Juice WRLDが数日後に来日するよ」と伝えたところ、「是非会いたい!」と猛烈なラブコールを送っていました。それを受けて「Halseyが1OAKでパーティーをホストするから、紹介したいから会いに行こう」と、取材で疲れたJuiceたちを深夜に連れ出し、六本木の1OAKで紹介しました。「その日のうちにスタジオに入ろう!」という話にもなったのですが、さすがに飲みすぎた深夜2時過ぎにスタジオに入る事はなかったです(笑)。でも、この出会いから生まれた曲が、Halsey「Without Me (with Juice WRLD)」と、先日リリースされたJuice WRLDの「Life’s A Mess (feat. Halsey)」でした。ちなみに「Life’s A Mess (feat. Halsey)」のビデオで描かれている二人の絵の元となった写真は六本木の1OAKで、私が撮ったものです(笑)。Halseyは2人の曲名を手の甲にタトゥーとして入れるほど、この出会いがきっかけで2人は親密になっていきました。

 





 

 

HIP HOP DNA: THE LIVE Vol.1

 

翌日行われたHIP HOP DNAでのライブは、Juice WRLDにとって日本での初ライブとなるということもあり、我々スタッフも気合いが入っていました。しかし、先ほどお話したようにライブDJがまさかの来日しておらず(笑)。

ライブ当日に、Juiceたちに「ちゃんといいパフォーマンスしないと!」とお説教じみたことを言ってしまったのを覚えています。でもJuiceたちは、それを素直に受け入れつつも、「ライブでみんなに歌声を聴かせたい訳じゃなくて、来てくれるみんなと盛り上がりたいんだ」と言っており、ワーワー言ってしまった自分を反省しました。これはそういう音楽で、そういうカルチャーで、彼らの作り出す空間こそを、お客さんは楽しみにしている。「ライブ」というものの概念、凝り固まった考え方を改めさせられるきっかけになりました。もちろん、その日行われた初来日公演は大成功で、忘れられない日です。

 





 

 

Juice WRLDと日本

 

それから、ちょうど1年後くらいのタイミングで、いきなり「オーストラリアで2つのフェスに出るんだけど、間に数日空くから日本に行く。来週行くから色々なところ連れてって」と連絡が入りました。「相変わらず自由だな〜(笑)」と思いました。オーストラリア滞在中に空いた、たったの数日を、わざわざ日本に来てまで日本で過ごしたいと思うほど、彼は日本が好きなんだなと改めて感じました。

 

JuiceたちをまたBAPELANDや、原宿のGR8に連れて行って、夜はJuiceが憧れている村上隆さんのところへ連れて行きました。(村上さんがインスタグラムでJuiceと会っていた事を投稿されているので、ここで記載させて頂きました)

その頃、既にJuiceの新アルバムの発売が予定されていて(遺作となった「Legends Never Die」になってしまいましたが)、そのアルバムに向けて様々なプロジェクトを企画したいと言っていました。色々な企画していた中で、Juiceが最も楽しみにしていたのが、憧れの村上隆さんと一緒に仕事をする事でした。普段遅刻しがちなJuiceが、村上さんに会いに行く時だけは、大好きなショッピングを早々に切り上げて、5分前行動をしていました。深夜を過ぎるまでJuiceは目を輝かせて、村上さんに自分の持っているイメージを一生懸命語っていた事を今でも思い出します。

 

翌日彼は「アルバムに向けて、日本に関連する色々なプロジェクトをすぐにでも企画したいから、2−3ヶ月後にまた来日するね」と約束をして、オーストラリアのフェスに出演するために帰っていきました。その2週間後、突然の訃報でした。とても言葉にできないです。

 

他にも色々とエピソードや、思い出はあるのですが、それはJuiceとの特別な思い出という事で、自分の中で留めたいと思います。彼の才能の豊かさ、優しさ、無邪気さ、また日本にどれほど思い入れがあり、日本で起こった事がどれほど彼に影響を与えたか。そして彼がどれほど日本が好きだったかという事が少しでも伝わればと思います。

Legends Never Die. 本当に心からご冥福をお祈りします。

 

Shares

RELATED POSTS

VIEW MORE