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50 Centの話題作りの極意と、Jay-Zのブランディング。「彼はカニエ・ウェストを通して俺を倒したんだ」

 

 

先日、自身のハッスル精神について語った本「Hustle Harder, Hustle Smarter」を出した50 Cent。こちらの本は、彼のビジネスや、毎日どのようなことを心掛けて仕事に取り組んでいるかを明かした貴重な内容となっている。とてもインスピレーショナルであると評判の本であるが、今回はこちらの本に書かれている、水面下で行われた「50 Cent VS Jay-Z」という、非常に興味深いストーリーを紹介したい。

 

 

50 CentはNY出身のラッパーとして、2000年代にヒップホップ業界の頂点に立った。同じくNY出身のラッパーとして、Jay-Zは彼をライバル視していたらしい。Jay-Zは1996年に1stアルバムをリリースしており、2003年には既に引退宣言をするほどの大御所になっていたが、彼は50 CentがNYの覇権を握ることを恐れていたようだ。

 

 

50 Centが語るJay-Zのブランディング

 

2003年の「The Black Album」で一度引退宣言をし、自身のレーベル「Roc-A-Fella」をNYで最も熱いレーベルにするために、ビジネス活動に力を入れることにしたJay-Z。50 Centの存在は、Roc-A-Fellaの成功を脅かす脅威であったようだ。Jay-Z自身も、これについては2013年のBreakfast Clubのインタビューで語っている。

 

 





 

 

「俺はスタジオに入って、Memphis BleekやBeanie Sigelなど、当時Roc-A-Fellaと契約していたアーティスト全員がいる前で発言したことがある。『お前らには今チャンスがあるから、沢山音源をリリースするんだ。50 Centはもうそこまで来ているぞ!』ってね。それを言った4か月後には、彼の『In Da Club』が物凄いヒットしたんだ。あそこまでヒットすると、他のラッパーはひたすらその勢いが消えるのを待つしかないんだ。」

 

 

50 Cent自身も、本の中で、このことについて言及している。50 Centは、Jay-Zを素晴らしいビジネスマンと賞賛しており、彼のブランディング戦略について語っている。Jay-Zは、自身のレーベル「Roc-A-Fella」を大手音楽レーベルグループ「The Island Def Jam Music Group」に完全に売却したのだ。さらに自身のレーベルを売却するだけではなく、その売却先のグループの一つであったDef JamのCEOに就任したのだ。形としては、自身のレーベルを売却したことになるが、その親会社のCEOに就任することになった。50 Centは、ブランディング的な観点でもDef JamのCEOに就任したのは賢い行動だったと評価している。

 

 

「Def JamのCEOに就任することで、Jayは今までと違うスターたちのボスになることができた。元々身内であるBeanie SigelやFreewayではなく、カニエやリアーナなどの”スター”たちのボスである印象を与えることに成功したんだ。」

 

 

 

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50 Centは以下のようにも語った。「彼はそれによって昇格できた。また、Roc-A-Fellaを運営していたときとは違って、彼は所属アーティストを0から成長させる必要がなくなったんだ。彼が社長に就任した頃には、Def Jamがもうそれをやってくれていた。家具が既に揃ってる家に引っ越してきて住むようなものだよ。更に、彼がDef Jamのトップを辞めた後も、カニエとリアーナは彼をボスとして慕った。引っ越しの時に、家具も全部持っていけたって感じだな。」

 

 





 

 

「彼の複雑な戦法には恐れ入るよ。倫理的にダメなこととか、忠実でないことは何一つしていないからね。多くの人はこうした決断をすることに躊躇する。人は、身内とずっと一緒に活動することを心地よいと思ってしまい、成功のためにそこから飛び出すことを恐れる。身内が自分の成功に協力してくれなかったとしても、そこから抜け出すのは難しいんだ。でも彼はその罠にかかることはなかった。そしてまだかかっていない。」

 

 

話題作り:カニエ・ウェストを通して50 Centとバトル

 

彼は本の中で、「Curtis VS Graduation」にも触れている。2007年の同じタイミングでリリースされた、50 Centの「Curtis」と、カニエ・ウェストの「Graduation」のどちらが初週で1位を獲得するかという競争であった。カニエは今まで、二人で同時にリリースすることを提案したのは自分だ、と主張してきた。しかし、50 Centはこのアイディアをカニエの持ち掛けたのは自分だと、本の中で明かしている。50 Centによると、彼が当時所属していたインタースコープ・レコードは、すでに50 Centというアーティストに興味を失っていたため、自分でリリースが盛り上がる施策を考えないといけないと思ったらしい。

 

 

こちらの勝負は結果的に、カニエ・ウェストが勝利した形になったが、お互い初週に60万枚以上の売り上げを記録することに成功している(Graduationは95.7万枚、Curtisは69.1万枚)。こちらの勝負においても、Jay-Zの存在が大きかったと50 Centが語っている。

 

 

「Jimmy Iovine(インタースコープ・レコードの創設者)は、カニエに勝つかどうかなんて気にしていなかったが、当時Def JamのトップだったJay-Zは、どうにかして俺のことを倒したかった。Jay-Zは、ニューヨークで俺が活躍していることを快く思っていなかった。だから彼はカニエを通して俺を倒せるように、出来る限りのことをしたんだ。Jayはカニエが勝ったことを嬉しく思っていた。だからこそ今のカニエに彼は失望しているんだよ。」

 

 





 

 

50 Centに興味を失っていたインタースコープ・レコードに比べ、Jay-ZのDef Jamは、カニエが絶対に50 Centに勝つことを望んでいたのだ。Jayは、自分よりも後輩である50 Centが、NYのヒップホップの覇権を握ったことにプレッシャーを感じていたのだろう。そのため、Jay-Zはカニエを通して、全力で50 Centを倒すために努力したと50 Centは語っている。

 

 

勝負に負けた50 Centであるが、この戦略を成功としたうえで、以下のように語っている。「今、69.1万枚を初週で売り上げたら、相当な成功だと思われるだろう。だが、当時は俺が圧倒的な差でカニエに負けたという風潮だったんだ。確かに俺は負けたが、世間は実は俺も勝ったことを知らなかったんだ。」

 

 

50 Centは決して恐れることのないカニエの姿勢を評価しており、二人の間にはビーフも存在しないとした上で、自分のプロモーション的にも「成功」した勝負であったと語っている。勝負には負けたかもしれないが、自身のアルバムのプロモーションとしては成功となった彼の戦略には脱帽する。

 

 

このように根っからのハッスラーである50 Centが語る「最強のビジネスマンJay-Z」や、業界全体を巻き込んだ50 Centのビジネスについて書いてある本「Hustle Harder, Hustle Smarter」はこちらから購入できる。

 

 

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