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ドクター・ドレーがどのようにエミネムを発掘したかをおさらい。「リスクを負ってでもこいつに全てをかける」

 

 

Dr. Dre(ドクター・ドレー)のレーベルからメジャーデビューアルバム「The Slim Shady LP」を1999年にリリースし、一躍スターとなったEminem(エミネム)。こちらのアルバムをリリースするまで、彼はアンダーグラウンドで活躍していたものの、日の目を見ることが出来ないラッパーの一人であった。ドクター・ドレーは、そんなエミネムをどのようにして発掘したのだろうか?今回は、HBOが以前公開したドキュメンタリーで語られた有名なエピソードを紹介したい。

 

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ドキュメンタリーの中でドレーが語った内容によると、当時一緒に仕事をするアーティストを探していた彼はInterscope Recordsのジミー・アイオヴィンの自宅でリスニングセクションを行っていた。その中で再生されたあるカセットテープの音源を聞いたドクター・ドレーは「なんだこれは?一体これは誰だ?」と感じたと説明している。それがエミネムだったのである。

 

しばらくしてエミネムはInterscopeのオフィスに呼ばれることになるが、当時の出来事について彼は「とりあえず自分の名前を売るために、様々なところに顔を出してカセットを渡していたんだ。ラップオリンピックの決勝まで残って、そこで負けたんだけど、青年がテープをほしいって声をかけてきたからあげたんだ。」と話している。

 

その後、自宅にあるスタジオにエミネムを招待したドレーは「My Name Is」のビートを流した。この時、エミネムはなんと3秒後には「Hi! My Name Is! My Name is!」とサビを歌い始めたのである。ドレーは以下のように語っている。(和訳はPlayatunerから引用)

 

俺はとにかくレコーディングしたくて急いでいたんだ。プロデューサーとしては、このような空間でマジックが起こっているのを感じるときがある。このモーメントを逃したくなかったんだ。俺は腹から「俺が一緒に仕事すべきアーティストはこいつだ」と思った。でもその時はまだ自分の周りにどれだけ人種差別をする人が多いかを知りもしなかった。

 

エミネムという人才を他のレーベルに取られたくないと思ったドレーであるが、彼にとって意外だったのは、ドレーはレコード会社の人たちから「こいつの目は青いじゃないか!何やってるんだ!」と言われてしまったということだった。しかしドレーはエミネムと音楽だけでなく友人としても共鳴するものがあったようで、「周りからの批判やリスクを負ってでも自分の全てをエミネムにかけることにした」という旨を語っている。

 

一方でエミネムは当時、ちょうど住んでいた家から追い出されたタイミングであったと話しており、ドレーも周りの業界の人間たちから彼と仕事をすることを反対されていたのである。お互いに人生の悪いシチュエーションにいたが、ドレーが一か八か全てをエミネムにかけた結果、後のヒット作となる「The Slim Shady LP」が完成したのだ。

 

このようにしてドレーに発掘されたエミネムであるが、ドレーがいかにプロデューサーとして優れているか、そして「自分の惚れた才能を信じる」という彼の仕事に対する理念が学べるエピソードである。

 

昨年の2月で20周年を迎えた「The Slim Shady LP」は以下のリンクからチェック。

 

 

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