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ヒップホップの生誕から48年。ヒップホップの生みの親、DJ Kool Hercがヒップホップについて語る。

 

 

8月11日はヒップホップの誕生日である。1973年にDJ Kool Herc(DJクール・ハーク)という18歳のジャマイカン・アメリカンがニューヨークのブロンクスにて、妹のCindy Campbellと共にブロックパーティーを開いたことがヒップホップの始まりとなった。そんなレジェンド、DJクール・ハークにHotNewHipHopが独占インタビューを行っているため、そちらの内容を紹介したい。

 

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「音楽の環境は、緑あふれる牧場のように素晴らしかった。たくさんのサウンドやスタイルを選択し、それを組み込むことで、私が求める音を創り上げることが出来たんだ。」

 

DJクール・ハークは当時、2枚のレコードを同時に使い、楽曲のブレイクの部分を繋ぎ続けるという、誰も見たことがないDJのスタイル確立した。彼はこのスタイルを「メリーゴーランド」と呼んでいた。彼からそのスタイルを学んだGrandmaster Flashなどがヒップホップを広め、今では世界で最も広まっているジャンルとなったが、DJクール・ハークはそんな「メリーゴーランド」についても話している。

 

「メリーゴーランドというテクニックは、ヴァイナルから流れるブレイクビーツのパートを待っているBボーイやBガールを見ていて、私はその光景からその手法を編み出した。別々の楽曲のブレイク部分を両方のターンテーブルに並べることで、ブレイクビーツを引き伸ばしたんだ。」

 

ダンサーたちが楽曲のブレイク部分で最も盛り上がるということを理解していたDJクール・ハークは、楽曲のブレイクの部分を繋ぎ続けるという手法を生んだのである。それから48年が経ち、音楽ジャンルとしても現在も成長し続けるヒップホップについて彼は以下のように語っている。

 

「音楽家としては、アーティストやプロデューサーたちが考え出す新しいサウンドを私は愛しているよ。彼らがカルチャーを前進させていくのを見ているのも好きだ。私にとって、音楽は変わり続けるもので、変化とは良いものだ。年代ごとのスタイルの違いや成長が、より多くのクリエイターの参入に繋がり、探求への道を開いていることは素晴らしい。すべてのアーティストたちがお互いを超えようとしていて、それは驚くべきことだ。現代のヒップホップに悪い意味でショックを受けたことはないし、今後もないように願っているよ。」

 

最後に、4年前の8月11日にGoogleが実施したヒップホップの生誕を祝う企画の中で元Def Jamの代表のLyor Cohenが語った内容を紹介したい。Via Playatuner

 

ヒップホップは手に届くものだった。多くのリソースを持っていない、努力家の子供たちはターンテーブルを強い表現力をもった楽器に変えることができたんだ。DJ Kool Herc、DJ Hollywood、Grandmaster Flashのような人たちの活動が、NYの5つの地区とその外に音楽/アート/ダンスのカルチャーを与えた。

 

初期ヒップホップはバイオレンスやドラッグカルチャーに立ち向かったものでもあった。私の大切な友人であり、最初のクライアントのKurtis Blowがこのようにいっていた。「通りの片方では、大きな建物が燃え落ちていた…その反対側では子供たちが【Hope(希望)と舞い上がる。Dope(ドラッグ)と堕ちる】というグラフィティメッセージを掲げていた。」ネガティブを跳ね返すメッセージがコミュニティを団結させた。

 

ヒップホップは創設者たちが考えていた効果を発揮した。それが意図的であったとしても、違ったとしても。この区切られた世界のどこからでも手が届き、誰もが共感できるカルチャーと居場所を、音楽の最前線に提供したんだ。その精神で、何十億もの人のたちにこの合言葉を伝えたい。「Yes, yes Y’all! And it WON’T Stop」この精神は今後も止まらない。

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