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JeezyとGucci ManeーVerzuz対決にみるATLトラップシーンの過去と現在

 

 

Text: Aki Ikejiri

 

 

[15年ぶりの和解に臨む]

 

「20年も俺らのビーフが続いた..」とJeezyが言い終わるか、言い終わらないうちにGucciが声を荒げる。「15年だ!」

 

2020年11月。アトランタトラップ創成期を支えた2大GOAT(神)、JeezyとGucciが15年ぶりに顔を合わせるという世紀のイベントが実現した。Instagramのライブ機能とApple Musicで配信される人気対決企画、Verzuzのステージだ。元々、Jeezy は、夏あたりに、T.I.のポッドキャストで「Gucciと話して、和解に向けて進みつつある」と話していた。Verzuzからオファーを受けたJeezyは、「俺とバトルするのは、奴しかいない」とGucciにオファーを出すも、断られる。よって、Verzuzは、当初、Jeezy vsT.I.の布陣で進められていた。それが、直前に、Gucci側がOKを出し、急遽、Jeezy vs Gucciとなったのである。地元、アトランタでは、この速報に大盛り上がり。しかし、誰も、この2人が同じ空間に立つとは思っていなかった。当然、リモートでバトルするのだろうと思っていた。それほど、この2人の15年のビーフは、深い闇だったのである。企画本番の4日前に、配信場所がアトランタを代表する老舗のストリップクラブ、マジックシティに決まった。アトランタのラップシーンとストリップクラブの関係は、切っても切れない。マジックシティは、創業1985年。以来、Tag Teamをはじめ、JeezyやGucciはもちろん、Future、2Chainz などローカルラッパーをブレイクさせ、全米へと送り込んできた。どうやら、このマジックシティで2人揃って、顔を合わせるらしい。配信を観戦するパーティーや、アフターパーティーがどんどん決まっていく。公式アフターパーティーでは、この2人と一緒に写真を撮るチケットも発売された。お値段、$1500(約15万5000円)。

 

 

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[アトランタコロナ事情]

 

アトランタは、コロナ禍に関わらず、昨年6月中旬からクラブやストリップクラブが通常営業を再開している。スターバックスやアップルストアなど全米チェーン店では、各企業規定に基づき、テイクアウトのみ、または休店という措置をとっている一方で、個人経営の店は、オーナーの方針によるところが大きく、人数制限もなしに店内食事を許可していたりする。ナイトクラブに関しては、マスクをつけているのも数人という有様だ。もともと、パーティーシティーと言われるアトランタ。クラブやストリップ、バーは星の数ほどあり、行政も各店舗に立ち入り、違反調査できていないのが現実だ。

 

 

[15年前のJeezy疑惑とブラックマフィアファミリー]

 

さて、配信日が迫ってくると、Gucciは、自身のSNSで、ユーモアを交えて、「やったんで」という意気込みを見せる。15年の恨み辛みを本人目の前に、吐き出せる。Jeezyへのディスソングはいくらでもある。オンラインとはいえ、公衆の面前でJeezyを打ち負かすことができる。かたや、Jeezyは、感情をみせず、冷静にビジネスプロモのみ。ここで、Gucciの挑発に応戦すれば、自身の疑惑を晴らせないどころか、和解から遠のくことを一番よく知っていたのだ。

 

Jeezyの疑惑。しかし、世間は、Jeezyを限りなく黒だと思っている。2005年。Jeezy、Gucciともに、ストリートでは名前を馳せていた。特にJeezyは、コカインを扱うドラッグディーラーとしてスノーマン、雪だるまという別名を持っていて、当時デトロイトから、アトランタに勢力を伸ばしてきたコカイン密売組織Black Mafia Familyとの関係を築いていた。このBMFの進出が、アトランタシーンの転機の一つとなる。現在、50centプロデュースのもと、BMFがドラマ化され、アトランタとデトロイトで撮影中だ。ちなみに、組織のボス、Big Meech役に自身の息子が起用されており、生写しかと思うほど。Big Meechは15年後に出所とされているが、その先に起こるであろう抗争が懸念されている。Jeezyが標的になる可能性もある。このあたりは、また、別の機会に書きたいと思う。

 

ラッパーとして、決定的なヒットがなかったJeezyとGucci。2人が共演したZaytoven プロデュースの 「ICY」が、その一曲になった。レコーディングをしたスタジオ、パッチワークの当時の記録によると、Jeezyが2004年6月、続いてGucciが2005年の3月に同曲をレコーディングしている。もともとGucciの曲だったが、Jeezyは、Def Jamの後ろ盾もあり、自身のアルバムに入れようとした。そこから、ビーフが始まる。Jeezyが「Stay Strapped」でGucciをディスり、Gucciのチェーンに100万という懸賞金をかけた。その100万を狙ってか狙わずか、4人がGucciを襲った。Gucciは、襲撃された際、全裸だったというが、一人を射殺し、他3人を追いやった。射殺されたのが、Pookie LocというJeezyのアーティストだったことから、Jeezyがこの4人を送り込んだとされた。また、家の外には、BMFのメンバーも待機していたと報じられた。奇しくも、Gucciが仮釈放されると同時に、デビューアルバム” Trap House”が発売になり、一連の事件が売り上げを後押しした形になった。後に、証拠不十分そして正当防衛が適用されるのだが、以来、二人の関係は共演NGなどという生やさしいものではなく、いろんな地元アーティストや重鎮の方々を巻き込み、こじれにこじれて、泥沼化した。

 

 

[治安悪化のアトランタ]

 

配信当日。クラブ内入場時にコロナテストが実施されたため、開始時刻が遅れたというが、アトランタでは、誰も、イベントが時間通りに始まることなんか期待していない。むしろ、遅れて当たり前感がある。Gucciを乗せた車がクラブに到着すると、ライフルをもったセキュリテイーが車の左右について警護。報復の可能性もさることながら、発砲事件が相次ぎ、治安が悪化していることを考えれば、大袈裟ではなく、全うな警護だったといえる。治安悪化の原因には、コロナ禍によるストレスもあるが、全米でも娯楽が再開している数少ない都市として、州外からの移住者、訪問者が増えたことが挙げられる。2Chainzも、こうした州外からの訪問者に苦言を呈している。「俺たちアトランタ人は、そもそも、田舎もんで、攻撃的な人種ではない。まったり過ごしてるのに、州外の奴らがやってきて、撃ち合いしてる。とっとと帰ってくれ」。援助金の不正給付などで、資金を得たギャングが流れ込み、活動が盛んになっているのだ。

 

 

 

[大統領選挙で揺れたジョージア州]

 

さて、2人がクラブ内に姿を表すと、2人とも、まずマジックシティにシャウトアウト。次に、リモートで、アトランタを拠点とする政治活動家ステイシー・エイブラムスが登場する。大統領選に揺れたジョージア州。アメリカ南部は、その奴隷制度の歴史的背景もあり、伝統的に共和党が続いているが、今回の選挙で、ジョージア州は、26年ぶりに民主党へとひっくり返った。その舞台裏で尽力したのが、このエイブラムス女史であるが、アトランタの凄まじい再開発による急激な都市化で、NYやLAをはじめ伝統的に民主党が続く州からの移入者が多くなったことが、最大の要因だろう。まだ議員選挙などが残されている時期だったので、選挙に行きましょうキャンペーンに登場したのだった。「それより俺の犯罪歴を消してくれ」と、半ば真剣に訴えるGucciに、場内の張り詰めた空気が少し緩んだ。

 

 

 

[ラウンド1]

 

Gucciがバトルの口火を切る。先行をGucciとしたのも、Jeezyの計らいだろう。Gucciが一発目に選んだのは「Round 1」。これは、先述したJeezyの「Stay Strapped」に対するアンサーだ。「お前は、アトランタ出身やないからみんなお前のことなんか知らん」「世話になったKinky B(Jeezyを世に送り込んだ右腕)を追い出して、マネージャーのCoach K (現在、MigosやLil Baby, City Girlsを抱えるクオリティーコントロールミュージック、QCの創設者)ぶん殴って、最低やな」など、あらゆる実名を出し、JeezyのレーベルCTEはもちろん、Def Jamまでもディスし、徹底的にやってるのだが、これで、まだ「Round 1」。しかも、Jeezyが差し向けたとされる4人に襲撃される前の曲だ。以降のバトル、Gucciは、一回も椅子に座ることなく、Jeezyを口撃し続ける。Jeezyはというと、深く椅子に腰を下ろし、ディスソングを黙って聴いている。15年前のディス曲とはいえ、目の前で、そして、視聴者数約200万人の前でやられるのだから、和解前提とはいえ、相当の覚悟だったに違いない。

 

 

 

[ストリップクラブとヒップホップの関係]

 

Gucciの一発目が終わり、Jeezyの番だ。マジックシティを再度シャウトアウト。DJ Nando(2014年射殺される)が、自身をブレイクさせてくれたと感謝する。DJ Nandoは、ストリップクラブ界のレジェンドDJで、現在の闇システムーーアーティストがお金を渡して、自身の曲をかけてもらうーーを構築したと言われている。ストリップクラブで、ダンサーの女の子達の反応を見て、その曲がヒットするかどうかを見極めていたのだ。当時、Nandoは、マジックシティのデイシフトでスピンしていて、NandoにJeezyの曲をかけてくれと頼んだのが、先述したGucciの「Round 1」リリックに登場する、元マネージャーのCoach Kだったのだ。「俺が初めてマジックシティーに来たのが2003年やった。人、人で身動きが取れない中、俺の曲をみんなが歌ってる。それで、DJ Dramaとこの曲をドロップした」と、「Trap Or Die」を一発目にもってきた。DJ Dramaをシャウトアウトするものの、何と、Dramaは、その時、場内のGucciサイドにいた。DJ Dramaとタッグを組んだ”ギャングスタグリル”シリーズのミクステからの選曲だったわけだが、その後、この二人にもビーフが勃発し、Dramaは、これみよがしにGucciへと寝返ったのである。2008年のことだ。ローカルFM局のアワード賞に、当時ビーフ中のDJ Drama とJeezyのクルー 、そしてT.I.とShawty Lo(2016年没)が一堂に会した。DJ DramaとJeezyのクルーで小競り合いがあり、Jeezyのクルー、確か15、6人はいたが、全員が退室し、CTE席はもぬけの殻となった。Dramaは、”ギャングスタグリル”シリーズで名を馳せ、T.I.のレーベル、グランドハッスルに専属DJとして迎えられるも、後に離脱。ビジネスマン思考が強く、それが、Jeezyのカンに触った。しかし、Jeezy自身も、ニューアルバムの発売をこの配信の翌日に設定し、プロモするあたり、やはりビジネスマンなのだが。

 

 

 

[DJ Drama の現在]

 

現在、Dramaは、Don Canonとともに、ジェネレーションナウを立ち上げ、Lil Uzi Vertや、Jack Harlow 等を擁している。Gucciとのミクステシリーズには、Jeezyのディス曲は収録されておらず、寝返ったとはいえ、そのあたりもビジネスマンらしく計算されていた感がある。現在は、Jeezyとの関係も修復されており、このVerzuzの中盤では、Jeezyサイドにその場所を移動していたようだ。Gucciサイドには、自身の新しいアーティストや、Coach Kの相方であるP、それに文字通りDay1ベストフレンドである、Zaytoven等がいて、Gucciをサポート。それに比べ、やや人数が少ないJeezyサイド。だが、Rick Rossの姿があった。JeezyとRick Ross。この二人にも2012年にビーフがあった。このビーフに端を発したJeezyのインタビューが、Gucciの怒りに油を注ぐことになる。

 

 

 

[JeezyとRick Ross]

 

JeezyとRick Ross。余談だが、この双方をプロデュースしたフロリダ州はタンパ出身の3人組のJustice League。新しいJeezyのアルバム『The Recession 2』でも約半数の楽曲を手掛けている。彼らによると、Jeezyは、とにかく、納得がいくまでレコーディングを続ける。それが前夜からスタジオに入って、翌朝10時になろうが11時になろうが、続けるそうだ。確かに、因縁曲「ICY」のレコーディング記録でも、他2曲レコーディングしているが、12時間スタジオに籠っている。対照的に、Rick Rossは、すぐに家に帰りたがり、レコーディングもそこそこにスタジオを出てしまうそうだ。2009年頃、何かの折に、Rick Rossのアトランタ郊外にある豪邸にお邪魔したことがある。まさに映画に出てくるような豪邸だった。玄関ロビーには、グランドピアノ、2階へと続く螺旋階段。地下ロビーには、ビリヤード台、そして、スタジオがあった。アトランタにいる時は、家のスタジオで、身内だけでレコーディングしているのだろう。

 

 

 

[GucciのMC口撃]

 

Jeezyの一曲目が終わり、「キュートやったな」と衝撃の一言を放つGucci。Gucciの口撃はまだまだ続く。2005年のデビューアルバム『Let’s Get It: Thug Motivation 101』からの選曲が続くJeezyに、「お前、古い曲ばっかりやんけ、最近のヒットないんか」。しかし、このアルバムこそ、ダブルプラチナムを獲得したアトランタのクラシックアルバムで、ここからのヒット曲は、今でもアンセムとしてクラブで聞かない日はない。鼻で笑われてしまった、Jeezy。次に何をもってくるかと思ったら、これまた2005年のクラシックヒット”Dem Boyz” 。当時、Jeezyは、Boyz n da Hoodというグループでも活動していて、このグループは、あのP.Diddyがアトランタに創設したレーベル、バッドボーイサウスと契約していた。

 

 

 

[Zone 6ーヒップホップはコミュニティーから生まれる]

 

Verzuz 中盤。「お前のフッドはどこや?俺のフッド はこっから5分や」と切り出し「That’s my Hood」をパフォーマンスしたGucci。ありとあらゆるディスソングに登場する常套句、「お前はよそもんや」をこれでもかと吐き出す。実際、マジックシティからGucciのフッド、Zone6と呼ばれる地域まで、東西を走る高速道路I-20を使うと、5分で行ける。Future、21 Savage、6lackなどもこの地域の出身者として知られているが、厳密にいうと、Gucci、21に関しては、思春期を過ごした場所となる。Gucciの出生地は、アラバマ州で、小学校の時にZone6へと引越してきた。もちろん、Jeezyも、Gucciに対するディスソングで、「お前もよそもんやんけ」と牽制している。Jeezyは、サウスキャロライナ州生まれ。その後、転々とし、20歳前後でアトランタに腰を据えた。ヒップホップとは、本当に興味深く、思春期を過ごしたコミュニティー、所謂フッド(貧困と犯罪にまみれた地域)をレペゼンし、やがて全米にそのフッドの名前を轟かせる。それも、長年に渡り、しっかり根付いたコミュニティーである必要がある。アトランタでいうZone2やZone5といった、都市化した地域や、高級住宅街、ダウンタウン&ミッドタウンからは、真のヒップホップは生まれない。「思春期は空っぽだった」とインタビューに答えているように、Jeezyは思春期を各地転々としなければいけなかった。逆に言えば、規格外の大物ということになるのだが。一方、顔面に大きなアイスクリームの刺青を入れようが、モールでナンパした女の子を蹴飛ばそうが、Zone6の神として、地元から愛され続けてきたGucci。21は、自分のインスタライブでもVerzuzを同時配信をして、Gucciをサポート。Gucciの曲は、ほぼ全曲、口ずさんでノリノリでも、Jeezyの曲では何一つ反応しないという、徹底ぶりだった。

 

 

 

[じわじわと責めるGucci]

 

14ラウンド目。「今度Verzuzやる時は、ジュエリー対決しようや」とJeezyに持ちかける。だが、Gucciの真意は、違った。Jeezyが「Stay Strapped」でGucciのジュエリーに100万の懸賞金をかけたことに対する、応酬だったのだ。15年前とはいえ、そのおかげで、ジュエリー、そして命を狙われることになったのだから、当然だろう。しかし、「俺は、不動産に出資している」とJeezyに軽く流される。そこで、16ラウンド目に、「俺の今日のコーデは100万だ」とさらにジャブを入れるも、「ファッションより投資だ」と、また流されてしまった。

 

 

 

[凍りついた18ラウンド]

 

そして、全世界に緊張が走ったであろう、18ラウンドに突入する。先行のGucciが投下したのが、Jeezyへの数あるディスソングの最高峰「Truth」。「これはディスソングとは違う、ただ事実を言ってるんや」とリリックにもあるが、目も当てられない内容。「俺の襲撃は失敗に終わったんやから、奴らに、賞金の100万を払ってないことを願うで」「お前の前カノとやった」「お前が、Keyshia Coleと付き合ってる時、KeyshiaはP.Diddyともやってた」などなど。ただ、この曲を制作する前は、Gucciは確実に態度を軟化せていた。2012年。ニュートラルな立場のFutureのデビューアルバムリリースコンサート。Jeezyと時間差だったとは言え、同じ舞台でパフォームしたし、リリックにもある通り、Jeezyが参加するT.I.の誕生日会にも顔を出している(JeezyとT.I.の近くには行っていないが)。一方、この直後、LAのFM局に登場したJeezyは、Rick Rossとの乱闘騒ぎの事実関係を尋ねられていた。しかし、やはり、話題は、Gucciとの関係に及び、「顔に、あんなデカイ、アイスクリームのタトゥー入れるやつのことなんか、俺でなくても、誰も相手したくないやろ」とこき下ろした。Gucciは、怒りを再燃させ、そのわずか数日後に”Truth”をリリースしたのだった。「お前が、ダチ(Gucciを襲ったPookie Locのこと)を殺してしまったっていう自責の念で、眠れないのは知ってる。息子すら勘当して、まともに養育もできてないとはな」。Verzuzでのパフォームは、この強烈すぎるバースで終わった。Jeezyは、当時17歳の息子への暴力と脅迫で逮捕されている。ちょうど、Rick Rossとの乱闘騒ぎの直前だった。パフォーム後も、興奮してマイクを離さないGucci。「お前が、奴を殺したんだ。今夜は、無駄死にさせたPookie Locに追悼しろよ!”無駄死に”だ」。会場が凍りついた瞬間だ。じわじわと核心に迫り、ついに伏線を回収したのだ。「俺の話もきいてくれ」となだめるJeezy。「お前と話をしに、ここに来たんやない、この”Truth”のパフォームを条件に来たんや」と駄々をこねる子供のようなGucci。「俺が、今日、お前をこの場に呼んだのは、お前を本物の男と思ってるからや。そやけど、お前は、昔とおんなじディスを繰り返してるだけや」。そして、冒頭の下りが始まり、Jeezyが初めて声を荒げる。2人が顔を合わせて、1時間弱。Jeezyが、初めてGucciと向かい合って話をしたラウンドだった。

 

「俺は、カルチャーのためにお前と、今日、これをやりたかった。お前に、世界がどんなけ俺らのビーフに注目してるか、見てもらいたかった。なんでかわかるか?俺ら自身がカルチャーやからや。俺とお前や。今の若い奴らが、撃ち合いしてんのは、俺らを見て育ったからや。これは、俺のためでもないし、お前のためでもない。(射殺されたラッパー)King Von、Nipsey Hustle、Pop Smoke 、みんなのためや」と、Gucciを睨みつけ、「Get Ya Mind Right」(心を入れ替えろ)で応戦。しばらく天を仰ぐGucci。ここで、形勢が一気に逆転した。しかし、さすが、Gucci。次の曲も、Jeezy へのディスソング「745」だった。ただ、それ以降、Jeezyに対するMC口撃はなくなった。

 

そして、ついにこの瞬間がきた。アトランタ、いや世界が、待ち望んでいただろう、15年ぶりの「ICY」。2人が楽しそうにパフォームしているのを見て、涙ぐんだアトランタ人は、少なくないだろう。Gucciは、Jeezyに「和解を申し出てくれてありがとう」と感謝を述べた。15年間の積もり積もった怨念を、本人目の前に、全て吐き出せて軽くなったのかもしれない。何事もなく無事にVerzuzが終わり、本当に安堵した。生配信で、雪だるま(Jeezy)が血だるまになっても、おかしくなかったのだから。

 

 

 

[Shawty Lo とT.I.のビーフ]

 

先述したように、Shawty LoとT.I.の間にも、ヒップホップ史に残るビーフがあった。この二人がレペゼンするフッドは、アトランタでも極悪とされるウエストサイドにあるバンクヘッドだ。Shawty Loは、ボーエンホームというプロジェクト(低所得者用の公団住宅)で育ち、実質、ストリートで名前を馳せていた。一方、T.I.が、バンクヘッドにいたのは、学生時代のみ。おばあちゃんの家に住んでいた。すでに、メジャーレーベルと契約していて、ギャングとしてストリートにいることはなく、誰もT.I.を知る者がいなかった。バンクヘッドのリアルキングはLoで、それは、T.I.も十分承知していた。2001年のメジャーデビュー”I AM SERIOUS”のMV。Loにカメオ出演を依頼し、筋を通している。だが、T.I.がスーパースターの階段を上り詰めるにつれ、いつの間にか、自身をキングと豪語し、 Loに敬意を払わなくなった。そこで、 Loサイドで「オタク、バンクヘッド出身ちゃうやん」口撃がはじまった。LoのT.I.へのディスソグ「Dunn Dunn」。皮肉たっぷりの「どうやら、バンクヘッドには、裏表があるみたいやな」のパンチラインに、アトランタ人は皆痺れた。2008年、JeezyのCTEクルーとDramaがもめ、CTEクルー全員が退出した後、ディスソングをやりあう二人のステージ上で大乱闘が勃発した。その日のうちに、バックステージで和解したが、ビジネス和解だったと、Shawty Loの幼なじみが証言してくれた。8年後、Shawty Loは、交通事故で突然この世をさる。T.I.は、「お前が本当のバンクヘッドキングだ」と追悼コメントを出して、涙を誘った。しかし、現実は、Loサイドをはじめ、ボーエンホームで育ち、全米トップチャートへヒット曲を送り込み、バンクヘッドという地名をヒップホップ地図に刻んだShop Boyz やDem Franchize BoyzなどのOG達とT.I.との間には、今だに距離が保たれたままだ。

 

Verzuzで、Jeezyは、中盤に自身がリミックスで参加したShawty Loの「Dey Know」をパフォームした。LoはGucciと、昔から仲が良く、もちろんお互いのビーフ相手も把握していた。しかも、Jeezyは、自身のビーフ相手T.I.と近しい関係だ。にも関わらず、LoはJeezyにリミックス参加を許したという不可解。Loの幼なじみは、これもビジネスだったと言い切る。

 

 

[永遠のトラッパーJeezy とGucci ]

 

Jeezy とGucciと共に、トラップ創成期を支えたプロデューサーがいる。特徴的なシンセサイザーと、ホラーがかったメロディアスなラインで、トラップというジャンルを、プロダクションサイドから確立させたShawty Reddだ。Jeezyをブラザー、Gucciをパートナーと呼び、ビーフ後も、ビジネスに撤し、二人に楽曲を提供し続けた。しかし、未払いなどで、彼もまたJeezyから離れていくのであるが、彼がプロデュースしたJeezyのクラシックナンバーは、15年以上経た今も、色あせることなく、世代を超えて、ギャングスタ・アンセムとして、毎晩クラブでプレイされている。

 

Gucciはというと、2016年の出所以来、まるで別人のように、しおらしくなり、音楽にも以前ほどの勢いもなく、クローングッチとさえ呼ばれた。結婚を発表した際には、世間は、「あのGucciが…」と驚いたものだ。Gucciにとって2020年は、クローングッチ返上の年になった。Gucciの代表作の一つ”Freaky Gurl”をサンプルしたフィメールラッパーMulattoの”Muwop”が大ヒット。そして自身がサインした若手アーティスト、FoogianoやPooh Shiestyーー2人とも出身地はアトランタではないが、実質、現在のATLトラップシーンをリードしている。

 

JeezyとGucci。ATLトラップシーンを定着させ、次世代に繋いだ功績は計り知れない。たとえ、今回の和解がビジネスだとしても、コロナ禍の世界を、そして地元の人々を多いに楽しませてくれた。永遠の2大トラッパーに、改めてリスペクト。

 

 

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