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【徹底解説】Verzuz: Bone Thugs-N-Harmony vs Three 6 Mafia徹底ブレイクダウン! 初心者にもわかるヒップホップ歴史と人間模様

 

Text: Aki Ikejiri @yojpgirlaki

 

 

公開乱闘でもVerzuz史上ベスト3

 

レジェンドプロデューサー、Timbaland とSwizz Beatzが立ち上げたストリーミング配信、Verzuz。コロナ禍にあって、最高の娯楽として定着し、往年のアーティスト達がバトルを繰り広げてきた。Jeezy vs Gucci mane(解説はこちら) そして、The Lox vs DipSet に続き、 史上トップ3に入ったのが、昨年12月2日に配信された、この方達のバトル。オハイオ州は、クリーヴランド出身のBone Thugs-N-Harmony(以下ボンサグ)と、南部テネシー州の悪名高いメンフィス出身、Three 6 Mafia(以下スリー6)。もともと、2020年4月にインスタグラム上でのバトルが予定されていたが、延期となり、Verzuzが再度仕切り直した形だ。しかし、この2つのグループの人気、それに音楽性の違いから、対戦相手として相応しくないとの声も多かった。実際、当の本人達もそう思っていたはずだ。そんな空気に呑まれ、ライブ中に公開乱闘が起こった。口火を切ったボンサグのBizzy Boneは、配信直後の自身のインスタグラムで「対戦前から、バックステージの空気が既に悪かった」と話している。筆者は、長年アトランタに住んでいるので、どうしてもサウス強めになってしまうのだが、Bone Thugs-N-Harmony vs Three 6 Mafia を世界一ディープにブレイクダウンしていきたい。

 

 

全員集合が極めて稀な2グループ

 

ホストのFat Joeの呼び込みで、まずボンサグが登場。メンバー5人、全員揃っている。まず、ここでファンは歓喜。ボンサグが全員集合するのは、極めて稀だ。Flesh-n-Boneは、デビュー以降現在に至るまで、お務めのため大半を不在にしていたし、Krayzie BoneとWish Boneが脱退宣言をして、解散、再結成を繰り返している。ここ数年ではLayzie Bone、Bizzy Boneの不在が多い。ちなみに、恐れ多くも私めが、2015年当時のヒップホップ雑誌<WOOFIN’>で彼らをインタビューした動画バージョンがこちら。

 





 

なんと、この時、まさかの5人全員が、ここアトランタに集合。彼らのボスであり、良き兄貴分だった故Eazy-Eは、LAはコンプトン出身で、ギャングスタラップのパイオニアグループN.W.A.の中心人物であった。彼らがそのEazy-Eに会うまでのストーリー、大ヒットしたN.W.A.伝記映画「Straight Outta Compton」の演出やボンサグの絆について、がっつり語っていただいたので、ぜひチェックを。もちろん日本語字幕付き。

 

さて、ステージに登場したボンサグ。挨拶がてら、3rdアルバム『The Art of War』のイントロ「Retaliation」をパフォーム。ステージ向かって左側の彼らの陣地には、なんとも、“らしい”セットが。Easy-Eを筆頭に、The Notorious B.I.G 、2pac 、Jam Master Jなど今は亡きレジェンドを偲んだ墓石。映像からは、確認できなかったが、おそらくBig Punの墓石もあったに違いない。ボンサグは、対立していたNotoriousと2pacの間で中立の立場を貫き、両者と楽曲制作した数少ないアーティストで、Eazy-E、Big Punを含めると、この4大レジェンドと楽曲制作した唯一のグループなのである。

 

続いて、スリー6の4人も、全員登場。こちらのグループも、結成当時から全員集合は稀だ。しかも、現在に至っては、オリジナルメンバーが揃うことはない。メンバー2人が、既にこの世を去っているからだ。グループ創設者DJ Paul の兄、Lord Infamous、そして同じくDJ Paulの幼なじみでルームメイトでもあったKoopsta Knicca。紅一点のGangsta Booは、大人へと成長していく過程で、ギャングスタラップはもうやりたくないと、2000年代前半に脱退。その後、グループは人気絶頂期を迎えるのだが、すでにDJ PaulとJuicy Jはソロキャリアとプロデューサー業にシフトしていた。当時、財政難を抱えていたCrunchy Blackは、頻繁にLAに飛んでは豪遊している2人に疑問をもち、グループを脱退。こうしてスリー6は事実上、空中分解となる。2013年に再結成するものの、先述したLord Infamousの死、そしてGangsta BooがJuicy Jとの確執のため再脱退。2019年に再び生存メンバー4人が公の場に姿を表すも、その後の再結成ツアーでさえ、Crunchy Black とGangsta Booの出席率が低いままなのだ。

 

全員集合が極めて稀なこの2グループが、全員揃ってしまうVerzuz。登場したスリー6のメンバー4人と、握手し抱き合うボンサグのメンバー。だが、そこには、Bizzy Boneの姿はなかった。

 

 

ラウンド1スタート − 音楽性の違い

 

「グラミー賞やオスカー賞なんかどうでもいい。今日はラップをしに来た」とKrayzie Boneが開会宣言し、ラウンド1スタート。先攻のスリー6が一発目に持ってきたのは、2000年のクラブバンガー「Who Run It 」。その18年後に、シカゴ出身のG Herboがこのトラックにフリースタイルを載せたことから、#Whorunitchallengeと題し、Moneybagg Yoさん、昨年銃撃され亡くなったYoung Dolphの弟分だったKey Glock など地元アーティストをはじめ、21Savage、Lil Uzi Vert 、Yung M.Aなども巻き込み、全米レベルで見事にリバイバルした一曲だ。当然、サウスでは、2000年以降もタイムレスなヒットとして、定番なのだが。そして、しょっぱなから魅せてくれたCrunchy Black。メンフィス生まれのレジェンダリーダンス、ギャングスタウォーク(通称Gウォーク)。彼がオリジネータではないものの、ハイプでキレのある動きで、”CrunchyといえばGウォーク”が定着したのである。

 

ボンサグ一発目は、1994年のデビューEP 『Creepin on ah Come Up』から「No Surrender」。西海岸のEazy-Eのプロデュースによって、レイドバックなビートに、ボンサグの高速ラップとハーモニーが見事に融合した所謂Gファンク。重くてオカルト的なスタイルでダーティーサウスを率先し、いろんな意味でブリンブリンのスリー6とは、やはり音楽生の違いが浮き彫りとなった。ちなみに、このEPのカバー写真は、Eazy-Eが自身のデジタルカメラで撮影したものだとか。

 

 

ラウンド2 & 3 − サウスはウェストコーストの影響大

 

序盤から飛ばしまくるスリー6。Juicy Jの代名詞といえば、ガヤ「Yeah Hoe 」。オリジナルメンバー全員が参加した最後のアルバム、『When the Smoke Clears: Sixty 6, Sixty 1(2000年)』の「Mafia Nixxaz」 から、Yeah Hoe ガヤを取り出してスクラッチを披露したJuicy J。そのまま、「Mafia Nixxaz」 突入かと思いきや、「Tear Da Club Up ’97”(1997年)」。クラブで盛り上がれ、という意味だが、暴力的かつオカルトなリリックで、当時のプロモ用TVコマーシャルがアメリカ17州の地域で放映禁止になった曰く付きの一曲。1976年ヒットのファンクインスト「Rhythm Heritage」をサンプリングし、Eazy-EのレーベルRuthlessのアーティストであり、後に元N.W.A.メンバーDr. Dreのデビュー名作アルバム『Chronic』を共作したThe D.O.Cの「It’s Funky Enough」の冒頭リリックを拝借している。このように、当時のサウスは、西海岸からの影響を受けながら、各地域で独自のスタイルを見出していく。スリー6は、新たなサブジャンル「クランク」を確立し、やがてそれは、メンフィスからアトランタへと南下していくのである。この「Tear Da Club Up ’97」は、同じくサウス、テキサス州はヒューストンバージョンとして、Destiny’s ChildのオリジナルメンバーだったLeToya Luckettが、同名の曲を2006年にリリースしている。その12年後には、同じくヒューストン出身のTravis Scottが、「NO BYSTANDERS”(2018年)」でフックを「Fuck the club up」に変えてサンプリング。現在ヒット中の、デトロイト出身IceWear Vezzoの「Tear The Club Up」もそうだ。ただし、この曲に限っては、Futureが客演に入っていることから、MVもFutureの地元、アトランタで撮影されており、デトロイトバージョンというよりは、ATLバージョンと言った方がいいだろう。余談だが、Futureという男は、たとえ、他州の人の曲でも全部持っていってしまう、怪物級のラッパーなのだ。

 

一方、ボンサグは、1997年の3rdアルバム『The Art of War』から人気曲「Body Rott」。とにかくボンサグは、5人全員スキルもあり、聴かせる高速ラップで人々を魅了。アルバムを聴き込んでいるファンが多く、シングルカットされていないヒットがいくらでもある。現在では、昨今のオートチューン使いのラップと比較され、クラシックとしてよりスポットライトが当たっている。

 

続くラウンド3。スリー6は、ラウンド2同様、1997年の3rdアルバム『Chapter 2: World Domination』からの選曲、「Hit A Muthafucka」。同曲は2019年に、オハイオ出身、新悦エモラッパーとして、フロリダの故XXXTENTACION等と共に注目された Trippie Reddの「Death」にてサンプリングされている。ボンサグも同じく、ラウンド2同様1997年の3rdアルバムからのシングルカット、「Look into My Eyes」。こちらは、同年の映画『Batman&Robin』に使用されている。

 

 

ラウンド 4 & 5 − 大人達が公開乱闘/シロップ歴史

 

ラウンド4。スリー6は、「Sippin On Some Syrup(2000年)」を投下。この曲が素晴らしいのは、かのソウルシンガーMarvin Gayeの「Is that Enough(1978年)」をサンプリングし、見事にスリー6カラーにリメイクしてしまったところ。オリジナルソングは、イザコザをリリックに落としこみ、俺にはマリファナが必要だ!と締めくくるのだが、スリー6バージョンでは、全米レベルで初めて、風邪薬のシロップ、そして咳止めシロップをドラッグとしてレペゼンした。後にこれらのシロップは、Futureのアルバム『Dirty Sprite(2011年)』によって、全米をパープルに染めてしまうのだが、その発祥の地は、テキサス州ヒューストン。意外にも歴史は深く、1960年ごろから、風邪薬であるシロップがドラッグとして使用されていた。90年代に入り、風邪薬シロップから、咳止めシロップへと移行していく。そして 「Chopped and Screwed」というテクニックを編み出した DJ Screwが登場し、地元ヒューストンのラップシーンを押し上げると同時に、このシロップの存在をミクステにて取り上げたことから、ヒューストンでポピュラーなドラッグとして広まっていく。インターネットもWi-Fiもない時代。文字通り、テープと口コミで、ドラッグもラップも、まずは地元からプロップスを得ていったのである。そのDJ Screwだが、皮肉にも、このスリー6の「Sippin On Some Syrup」のMVがリリースされた後、 咳止めシロップや、その他のドラッグ過剰摂取で、この世を去っている。スリー6が、この曲にヒューストンのOG、UGK (R.I.P. Pimp C)を客演に迎えているのには、こういった背景地図があるからだ。しかも、この曲は、リリース前年に、Pimp Cの家でレコーディングされている。そのヒューストンOGに「みんな(ハードドラッグを)やってんのに、怖がってリリックに入れへん。お前らはエグいな」と言わしめた一曲だ。そして、もう一人参加しているのが、Juicy Jの兄であるProject Pat 。しかし、Verzuzでは、彼のヴァースは全てすっ飛ばされ、DJ Paulからスタートという残念な結果に。

 

対するボンサグは、1995年の名アルバム『E. 1999 Eternal』から「Buddah Lovaz」。そのメローなGファンクに載せて、DJ PaulとGangsta Booが、手を取りあって、踊りだすシーンも。和やかムードだったはずが、アウトロが終わるや否や、「お前ら、人がパフォームしてるのに、なんだその態度?馬鹿にしてんのか? …Gangsta Booもや…」と突然、スリー6サイドに向かって啖呵を切るBizzy Bone 。間髪入れず、Juicy Jが「てめー俺のXXXでもしゃぶっとけ」と買い言葉の常套句を吐く。Bizzyが、持っていたペットボトルをJuicy Jに投げつけると、JuicyもマイクをBizzyに投げつけ 、殴りかかる。同時にスリー6サイドのクルー達が飛び出し、乱闘が始まってしまう。Bizzyは、ステージから下ろされたものの、カオス状態が続き、Verzuzは一時中断。プロモ映像などを流して対応するも、最後は苦肉の策として「技術的なトラブル発生、お待ちください」のテロップ。10分ほどでライブに戻ったが、ステージ上はまだ混乱している模様。そんな中、スリー6、厳密に言えば、スピンオフグループHypnotize Camp Posse名義の「Azz & Tittiez(2000年)」のイントロが流れ、まさかの無茶ぶり再開。どのタイミングで「けつと乳」やねん、とライブチャットは大盛り上がり。まさに、これこそ、サウスの醍醐味!とはいえ、流石に微妙な空気が流れたままのパフォーム。

 

一方、ボンサグは、Bizzy Boneが隔離されたまま、4人で「Days of Our Lives(1996年)』をパフォーム。 ニュージャージー州レジェンドフィメールラッパーのQueen Latifah、そして例の平手打ち事件で大いに世間を騒がせているFresh Prince ことWill Smith の嫁、 Jada Pinkett が主演の同年映画、『Set It Off』の挿入歌である。そして、Layzie Bone がJuicy J に軽く詫びを入れ、現場の空気がやや軽くなる。

 

 

ラウンド6&7−Bizzy Bone謝罪

 

Bizzy Bone不在のまま、ラウンドは進んでいく。スリー6の「Ridin’ Spinners」(2003年)では、テキサス州はヒューストンのOGで、「Game Over」などヒット曲があり、またフリースタイルキングとして名前を馳せた Lil’ Flipが登場。ちなみに、「Ridin’ Spinners」は、Eazy-Eの『Eazy-Duz-It(1988年)』が元ネタ。続くボンサグは、Swizz Beatzがプロデュースした「Bump In The Trunk(2007年)」で、Verzuzの創立者でもあるSwizzへ敬意を払う。

 

ラウンド7では、スリー6は、紅一点のメンバーであり、サウス・フィーメルラッパーのパイオニアでもあるGangsta Booのためにソロの場を用意。まだまだ男社会が続くヒップホップ界において、この計らいに、チャット民からも称賛が贈られる中で、代表曲「Where Dem Dollas At(1998年)」をパフォーム。グループとしてもソロとしても、Gangsta Booの仕事ぶりとカリスマ性は凄まじく、文字通り、メンフィスのクィーンと称されるのだが、楽曲制作に関与していながら、正式にクレジットされた作品はごく一部で、故に正当な評価や分配がなされておらず、それがJuicy Jとの確執であったり、欠席率が多い原因の一つとなっている。

 

対するボンサグがチョイスしたのは、奇しくも「Resurrection(Paper, Paper)(2000年)」。今まさに渦中の人、Bizzy Boneが脱退する直前のシングルで、様々な憶測が飛び交った時期だった。アウトロが終わると、舞台袖から、Bizzyが登場し、まっすぐJuicy Jに突き進んでいく。Juicy Jも歩み寄り、ガッチリ握手を交わし、ハグ。「ここにいるみんなに謝りたい。スリー6側にもボンサグ側にも。この場を台無しにするつもりはない、盛り上がって行こうぜ」と謝罪した。

 

 

ラウンド8 − Yeさんとの関係性/Eazy-E息子登場

 

両グループとも気を取り直し、ここからが本番。両グループのステージを隔てていた、立ち入り禁止のテープも、すでにない。スリー6が、最も代表的なシングル「Poppin’ My Collar(2005年)」で、会場を沸かす。Poppin My Collarとは、直訳すれば、襟を立てるとか襟を強調する、ということだが、当時流行っていた金持ち風の“ボンボン”スタイルのキレカジや、金持ちの子供が通う私立学校の制服がポロシャツであることから、それらを皮肉った曲である。同曲のMVには、カメオで シカゴレペゼンKanye West 改めYeさんが登場している。Yeとスリー6の親交は長く、当時はDJ PaulがYeの食事&ドリンク代などを支払っていたという。話が前後してしまうが、ラウンド4でドロップした「Sippin On Some Syrup」。彼らはSyrup をシロップとは発音せず、Sizzurp(シザーップ)となまって発音している。Yeは、これに影響を受けて、自身の2004年デビューシングル「Though The Wire(2004年)』に、「I just sip the sizzurp(ちびちびシロップを飲む)」というラインを入れている。また、テキサス出身のMegan Thee Stallionも、ミクステ『Fever(2019年)』に収録されている「Big Drank」でシザーップをサンプリング。Megan嬢に至っては、スリー6が好きすぎて、同ミクステには、Juicy JやProject Patを参加させている。

さて、続くボンサグも、彼らの師匠であり、ボスだったEazy-Eとのヒットシングル「Foe Tha Love of $(1995年)」で盛り上げる。この曲は、当時、Eazy-EのレーベルRuthlessに所属していたYomo & Maulkie、そしてJewellの同曲リメイクで、Jewellのパートはそのまま使っている。彼女は、後に、ヒップホップ史上、最も悪名高い Death Row Records に移籍し、その歌声は、Dr. Dre、そしてSnoop Dogのデビューアルバムでお馴染みとなるのである。また、MVも名作で、リアルなギャングの日常にフォーカスし、派手な車もギャルも、ジュエリーさえも出てこない。何より、Eazy-Eの生前最後のMVとして、貴重な作品でもある。ステージには、Eazy-Eの息子、Lil Eazy-Eが登場し、Easy-Eのヴァースをテイクオーバー。感慨深いラウンドとなった。

 

 

ラウンド9 &10 − ツーンチ&ガヤ番長登場

 

ラウンド9。スリー6は、Juciy Jの兄、Project Patと、アトランタのKris Kross につぐ元祖子供ラッパーBow wow(共にSo So Def所属)をフィーチャーした「Side 2 Side(2006年)』をドロップ。クラブで踊らない、または踊れない男どもに向け、「両腕を組んで、両サイドに体を動かしたらええんや!」っていう、救世主的な一曲。ここでも、客演参加してるはずのProject Patは、登場しなかった。ちなみに、「Side 2 Side」は、2018年、Mike Will Made-Itお抱えアーティストで、ミシシッピ州のRae Sremmurdの「Powerglide」にてサンプリングされている。

 

対するボンサグは、Chamillionaireの「Ridin(2005年)」。しかも、ご本人登場。忘れられがちだが、この楽曲には、Krazie Boneがフィーチャーされている。会場も盛り上がったが、一番嬉しそうだったのは、ラウンド6で、スリー6サイドにゲスト出演した、ヒューストン同胞のLil’ Flipだったということを付け加えておこう。

 

ラウンド10。スリー6は、ここでJuicy J名義のヒット「Bandz A Make Her Dance(2012年)」。ダンサーにサウスカルチャーのTwerk(ケツふりダンス)をさせて、Juicyは、金をばらまく。まさにタイトル通りのサウスらしい演出。そして、まさかのアイコニックスターが登場。これまたサウスはルイジアナ州、ニューオリンズのLil Wayne!さすがスーパースター、自分の仕事が終わると速攻で帰り、余韻残しまくり。個人的には、ツーンチ、日本人のように深々とFresh-n-Boneに頭を下げていたのが印象的だった。

 

ボンサグは、Krayzie Boneが客演している「I Don’t Give A…(2002年)」で、アトランタのガヤ番長Lil Jonを登場させる。この方こそ、スリー6からクランクを引き継ぎ、「Get Low(2003年)」で世界にクランクを認知させた人物なのである。その功績とスリー6との関係性から、Lil Jonはスリー6サイドで登場するべきだったという意見もあった。しかし、意外にも、ボンサグ、特にKrayzie Boneは、Lil Jon以外にも、So So Def創設者であるJermaine Dupri、T.I.らとも親交があり、アトランタとの繋がりが強い。しかも、このシングルがリリースされる4年も前に、すでにアトランタの女子ラップグループRelayとサインしている。メジャーとサインしたアトランタ出身女子ラッパー枠では、TLCのLeft Eye(R.I.P.)、K.P. & EnvyiのK.P.に次ぐレジェンドレベルだ。Krayzieソロアルバム『Thug Mentality 1999』に収録されている「Thugline」で、彼女達がふんだんにアトランタをレペゼンしたラップが聞ける。まだまだシーン黎明期にあって、彼女達を全米ツアーに同行させ、各地にアトランタをレペゼンさせた功績は大きい。

 

 

ラウンド11ーついにProject Pat登場/ヒップホップ史上最大のミステリー解決

 

ラウンド11。現在絶賛ヒット中のカナダ出身Drake の「Knife Talk」が流れると、Project Patが満を持して登場。独特かつ中毒性があるフローで、現在のアングラシーンでもカリスマ的な人気を誇っているPat。同曲は、Juicy J ソロ名義の「Feed The Streets」のサンプリングで、手掛けているのは、共にMetro Boomin。もともとは、21SavageとMetroのアルバムに収録予定だった。よって、もちろん21もフィーチャーされてる訳だが、語尾の伸ばし方など、Project Patのフローに寄せているのが聞きどころ。また、ラウンド8でも少し触れたMegan The Stalion。彼女の Patフローも、「Megan’s Piano(2021年)」で確認できる。さて、Patは、「Knife Talk」の後、往年のヒット「Chickenhead(2001年)」を連続投下。そしてスリー6の準女子メンバー、La Chatが登場。スリー6のメンバーや準メンバーは、DJ Paulが連れてくるのだが、唯一、Juicy Jに見出されたのがLa Chat.。この「Chickenhead」、Cardi B によってリメイクされ、「Bickenhead」として彼女のデビューアルバム(2018年)に収録されている。これに関し、Cardiは、ツイッターでJuicy JやProject Patにシャウトアウトしたものの、La Chatには触れてさえいなかった。折しも、ラウンド1で述べた「#Whorunitchallenge」が各方面に飛び火している時期で、La Chatもここぞとばかりに参戦し、見事にCardi Bをディスった経緯がある。ディスといっても、エンタメとして消化しながら、男社会のヒップホップ界で戦う同じ女性として無礼だときっちりメッセージを残す。さすが、La Chat姐さんなのである。

 

続いてボンサグ。「俺らはEazy-Eに会うため、バスでクリーヴランドからきて、この女性と会って、曲をつくったんだ」と、Shatasha Williamsを呼びこむ。デビューシングル「Thuggish Ruggish Bone(1994年)」でサビを歌っている女性シンガーだ。彼女は、このヒットシングルで名前がクレジットされていながら、その後、忽然と姿を消し、長年ヒップホップ史上最大のミステリーの一つだった。7年前に、メディアが執念で探し当て、インタビューをとっている。シーンから身を引いた理由に、Eazy-Eの死により、Ruthlessとの契約が白紙になったこと、またこの曲に対する印税など金銭を受け取っていないこと、などをあげている。ボンサグのメンバーとも絶交したままで、もし彼らと会うことがあれば、金銭のオファーがあった時のみと断言していた。ただ、今夜の主人公、Bizzy Boneだけは、彼女を気にかけていたようで、このインタビューの少し前にメッセージを送ってきたそうだ。ステージ上の距離感から、その後も会う機会はなかったと容易に想像できる。彼女に出演オファーをかけたボンサグ、それを了承し、しかもボンサグのTシャツまで着て登場したShatasha。実に28年ぶりの再会、そして共演が実現したのである。

 

ところで、当時、このデビュー曲で、ボンサグに嫌悪感を抱いたのが、誰であろうスリー6だった。「俺らは、ボンサグがデビューする前から、6-6-6(反キリストや悪魔を意味する)や殺人、ホラーを高速ラップしてたし、奴らがデビューしたときは、俺らのスタイルを完全に盗まれたと思ったんや。そやし、その後、26年もの間、ずっとしこりがあった。(Verzuzでの)乱闘は、起こるべくして起こったってことや。これでスッキリしたし、お互い誤解も解けて、めっちゃよかった」と、後日、DJ Paulが話っている。

 

 

ラウンド12 & 13 − お茶目なCrunchy Black/Juicy Jの喧嘩癖

 

ラウンド12。スリー6は、Juicy J名義の「Zip & A Double Cup(2011年)」をピック。プロデューサーには、当時、アトランタのWaka Flocka のデビューアルバムで注目を浴びた808MafiaのLex Lugerを起用。Zipは、マリファナを入れるジップロックの袋、Double cupは、ダーティースプライト(ラウンド4参照)を飲む発泡スチロールカップを2つ重ねたもの。要は、「ハイになるで」ソング。続くボンサグは、1995年の2ndアルバム『E. 1999 Eternal』から「Budsmokers Only」。スリー6と同様、ハイになろうぜソングだが、こちらはマリファナのみ。イントロ中に、ステージの真ん中で、Crunchy Blackがポケットから何かを取り出し、Layzie Bone に手渡した。この2人、近しい関係のようで、序盤からふざけあいが半端ない。私の想像なのだが、この曲の意図に合わせ「お前、草だけやったら物足りんやろ」ってことで、このタイミングで、Layzieに別物をプレゼントしたのでは。。。

 

ラウンド13でスリー6がドロップしたのは、UGK の 「Int’l Players Anthem」。ラウンド4では、シロップドラッグ発祥地であるテキサスはヒューストンのUGKをフィーチャーしたスリー6の楽曲だったが、こちらはスリー6がフィーチャーされたUGKの楽曲。誰もが、UGKの残されたメンバーであるBun Bの登場を期待していたはずだが、あいにくBun Bはマイアミのアートフェスにブッキングされていて、出演不可だった。後日、インタビューでBun Bはスリ—6からオファーがあったことを明らかにしている。また、乱闘騒ぎについては、「お前ら、Juicy Jを知らんのか。あいつは、昔から行くとこ行くとこで喧嘩してんやから、そんな驚くことちゃう」とひと蹴り。実際、20年以上前にボンサグと行動を共にしていたRelayのメンバー(ラウンド10参照)によると、あるコンサートで、先にはけたJuicy Jがステージに戻ってきて、Krayzie Bone に殴りかかったことがあったらしい。Bizzy Boneの謝罪後も、始終ご満悦だったDJ Paulとは対照的に、ボンサグと距離を保ったままだったのが、Juicy J 。またボンサグ側も、キレた本人Bizzy Bone はもちろん、Krayzie BoneもJuciy Jと距離も保ったまま。その背景には、やはり長年にわたる冷戦が垣間見えるのだ。そして、このラウンドで、ボンサグは、ヒップホップ史上2大レジェンドの一人、2pacとのコラボ曲「Thug Luv」をドロップし、当時の勢いを見せつけた。もともと、Bizzy Boneのソロプロジェクトに使う予定だったため、レコーディング当時、スタジオにはBizzyしかいなかった。2Pacは、自身のグループOutlawzと共に現れ、数回のテイクでワンヴァースを完了させたそうだ。意図は不明だが、Juicy Jは、このボンサグの「Thug Luv」をサンプリング使いした「Bitch From the Gram」を2017年にリリースしている。

 

 

ラウンド14 − 新世代クランカー登場/ボンサグの故郷

 

Juicy JがJa Morantのジャージを持ち出し、地元のNBAバスケチームMemphis Grizzliesをレペゼン。同胞Duke Deuceの2020年ヒット「Crunk Ain’t Dead(2020年)」が流れ、本人登場。「クランクは死んでへん」というタイトル通り、Project Pat の「If You Ain’t From My Hood(2001年)」をサンプリングし、スリー6が産んだクランク、そしてテディベアー体型ながらキレのある動きで同地発祥のGウォークダンスをニコイチで見事にリバイバルさせた。メンフィス出身ながら、Lil BabyやCity Girlsのホーム、アトランタのQuality Control(QC)とサインしているDuke。その背景には、スリー6の次世代、Yo Gotti 、そして彼と対立していた故Young Dolphの存在があり、メンフィスの若手ラッパー達には、この2大勢力の他に選択肢がなく、どちらかに組み込まれなければならなかった。それを危惧したのがQC社長Pさんであり、彼の盟友akaトラップ神、Gucci Maneもメンフィス出身のラッパー達に手を差し伸べている。話はそれたが、「Crunk Ain’t Dead」は、リリース後のヒットを受け、大御所オリジネーター達に敬意を払い、Juicy JやProject Pat、そしてLil Jonを客演に迎えたremixがメインストリームとなる。もちろんVerzuzでも、このremixバージョンが採用されたのだが、同じステージにいながら、Lil Jonは生ガヤを披露することはなく、視聴者をがっかりさせた。エンタメながら、Verzuzつまり対戦の場であり、Lil Jonはラウンド10でボンサグサイドで登場したため、スリー6サイドでは、出場が不可となったのだ。「対戦の場」であることは、後のインタビューでKrayzie Boneも再三言及していて、乱闘が起きた原因となったラウンド4の「Buddah Lovaz」について、「対戦相手に、俺らの曲で、チークダンスなんか踊らせてしまったんやから、明らかに選曲ミスだった」としている。

 

そのボンサグは、1995年のセカンドシングル「East 1999(1995年)」をドロップ。Eazy-Eとサインしたことから、ブランディング戦略の一環としてビートのみならず、ヘアースタイルや服装までもウエストコーストに寄せる一方で、深い地元愛をレペゼン。曲名の通り、彼らが生まれ育ったのは、オハイオ州はクリーヴランドのEast 99th Streetのフッド 。フッド とは、黒人の低所得者層が住むスラム街であり、犯罪やクラックなどの薬物が蔓延している。だが、貧困に喘ぎながらも、近所の人たちと声を掛け合い、助け合って暮らしていたのがボンサグの家族。実際、ボンサグメンバーの祖父母全員が知り合いで、各両親が兄弟同然に育ち、そして、ボンサグメンバーもその両親のもとで、兄弟同然に育っている。夏場には、彼らの両親の家のポーチに座り、外を眺めながら1日を過ごしていたという。ウェストコーストというレッテルを張られながらも、初期のボンサグのリリックは、この両親の家のポーチでできたものだ。結果的にVerzuzでは選曲漏れとなった同年のヒット「1st of tha Month」も、このポーチでつくられた。毎月1日に配られる低所得者層のための援助金を謳ったもので、彼らやご近所が、その日をいかに心待ちにしていたかを描写している。ただし、現在、クリーヴランドでも裕福層と貧困層の2極化がさらに進み、East 99th St.辺りは人口が激減し、犯罪や銃撃が増えているようだ。愛する地元を救うべく、ボンサグが立ち上がり、警察など行政に働きかけている。

 

 

ラウンド15 − Wiz Khalifa登場/東西抗争中の中立

 

Juicy Jが自身のソロ活動に重点を置いていた2010年頃に、Twitterを介してWiz Khalifaと接触。以降、頻繁にコラボし、ついにはWiz自身のレーベル、Taylor Gangのメンバーとして正式に迎えられることに。ラウンド15では、そのWizとの初期作「Errday(2011年)」をパフォーム。もちろん、Wizも登場。この2人、2016年には、TM88を迎え、TGOD MAFIAとしてコラボアルバムをリリースしているが、つい先月、2人のアルバム「Stoner’s Night」がリリースされている。

 

一方、ボンサグは、最も偉大な2レジェンドの一人であるThe Notorious B.I.Gとのコラボ「Notorious Thugs」をチョイス。この曲は、Biggieの二枚目にして、最後のアルバムとなった『Life After Death(1997年)』に収録されている。BiggieとPacの対立が、東西抗争(NY vs LA)に発展した結果、2pacは、前年に銃撃され死亡。Biggieは、このアルバムが発売される約2週間前に、アルバムのプロモとMV撮影で訪れていたLAで射殺され、この世を去っている。この2大レジェンドの激化した抗争の中で、中立を死守できたのが、ボンサグだった。そもそも、この2大レジェンドは、自分が殺されることを見越してリリック を書いていた経緯があるのだが、Biggieに至っては、このラストアルバムに「Going Back to Cali」という曲があり、そのリリックの中で、「LA(ウエストコースト)はめっちゃ良いところや、LAに戻って仕事するぞ」的な意欲を見せていただけに、当時のヒップホップヘッズにとっては、衝撃的すぎる事件だった。

 

 

ラウンド16 − ハイライト

 

ここで、ついにスリー6最大のヒット「Stay Fly(2005年)」。この曲に客演している同胞、8Ball & MJGと、テネシー州はナシュビル出身のYoung Buckが、ステージを大いに盛り上げ、一気にバイヴスが上がる。8Ball & MJGも、サウスシーンのパイオニアで、スリー6が結成された1991年には、すでにデビューEPをリリースしていて、いわば、スリー6の先輩格にあたる。サウスはまだまだアウェイな時代に、MaseやFoxy BrownといったNYのラッパー達とコラボを実現させ、サウスの雪解けに貢献した。現在でも、サウスでは評価が高く人気のデュオだ。Young Buckは、1997年にLil WayneやDrakeを擁するルイジアナ州はニューオリンズのCash Moneyとサインするも、NYは50 CentのレーベルG-Unitへ移籍。とにかく、Buckは才能に恵まれながら、素行が異常に悪く、後に、この両方のレーベルと裁判沙汰になったり、数々の問題を起こし、第一線から転落。現在でも、元レーベルメイトのLil WayneやJuvenileは公然とBuckを批判しているし、50 Centも一度は和解していたものの、先月のBuck逮捕を受け、猛烈批判している。それはさておき、テネシーを代表するOG達が一堂に会したことで、テネシー州民は大興奮だったはずだ。そして、曲終わりには、8Ballが同胞メンフィスのYoung Dolphを追悼。間違いなく、このラウンドは、スリー6サイドのハイライトだろう。因みに、RihannaのベイビーダディーであるA$AP Rockyが、Juicy Jを迎え、「Stay Fly」をサンプリングした「Multiply(2015年)」をリリースしている。

 

ボンサグは、セカンドアルバム「E. 1999 Eternal(1995年)」から、Bootsy’s Rubber Bandの「I’d Rather Be With You」を使った「Mo’murda」。この元ネタは、1976年のリリースに関わらず、N.W.A.から、2Pac、Beyonce、Childish Gambino など、いろんなアーティストにサンプリングされ続けている大ネタ。ボンサグバージョンは、聞かせる高速ラップを生かしたダンスナンバーで、会場も盛り上がる。Layzie Boneの高速ヴァースを、半信半疑で見守るCrunchy Black、そしてLayzieの絡みを笑顔で受けるDJ Paul。スリー6だけでなく、双方にとってハイライトなラウンドだったと言えるだろう。

 

 

ラウンド17 & 18 & 19 − 映画サントラ/大物女性シンガー/ストーナーバイブス

 

Verzuz終盤に向けて、さらにサプライズを仕込んでいたスリー6。メンフィスで荒れた生活を送るポン引き&ドラッグディーラーが、一念発起しラッパーを目指す映画、『Hustle & Flow(2005年)』。劇中で、この主人公の代表シングル曲としてスリー6の「Hard Out Here for a Pimp」が使用された。しかも、翌年、オリジナルソングとしてアカデミー賞を取った曲だ。ラウンド17では、なんと、主人公Djayを演じた Terrence Howard本人がパフォーム。流石に16年のブランクはあったものの、役所はそのままキープ。何より、まさかの本人登場に、ボンサグ含め、ステージ上のアーティスト達も携帯片手に満面の笑顔。

 

「お前ら、やってくれたな!Terrenceは、俺らと同じ、オハイオはクリーヴランドで育ってんのに、スリー6側かよ!」ときっちり突っ込こみを入れるFlesh-n-BoneとLayzie Bone 。この2人がいなければ、乱闘勃発以降の進行は、厳しかっただろう。映画つながりで、ボンサグサイドも、映画『Friday』の続編、『Next Friday(2000年)』に使用された、Bizzyのソロ「Fried Day」をピック。LAのOG、元N.W.A.のIce Cube が主役を演じる、マリファナコメディー映画シリーズで、特に『Friday』は、時を経てもなお、コメディー最高峰映画なので、ぜひチェックしていただきたい。

 

ラウンド17に続き、18そして19も、事前に示し合わせたであろう選曲。ラウンド18では、両グループ共に大物女性シンガーの曲をチョイス。スリー6は、Juicy Jがフィーチャーされた大物ポップスターKaty Perryの「Dark Horse(2013年)。ボンサグは、Krayzie Bone とWish Boneがフィーチャーされた、歌姫、 Mariah Careyの「Breakdown(1998年)」。どちらも、大物女性シンガーが自らオファーをかけて実現したコラボ。特筆すべきは、Mariahの「Breakdown」で、Mariah本人の希望で、初めてヒップホップ色を出したシングル。後世に残るクラシックと評価されながら、チャートから外れ、忘れ去られた幻の名曲。Mariah自身、思い入れがあり、特別な曲だと語っているが、幻となった経緯については、「いつか全て話できると思う」と明らかにされていない。このシングルが収録されたアルバム『Butterfly』自体が、彼女を籠の中の鳥のように押さえつけていた元旦那のSony最高経営責任者への復讐であり、Sonyサイドから何らかの力が働いたことは想像に難く無い。

 

ラウンド19は、両グループが、マリファナがテーマのいわゆるストーナーバイブス曲をピック。スリー6は2005年のアルバム『Most Known Unknown』から 「Half on a Sack」。彼らに限っては、マリファナだけで済むはずはなく、コカインなど、直接的なリリックも入ってくるのだが、今年に入って、その部分がTikTokでバズリ、見事にリバイバルしている。リリックもさることながら、重たさの中に、軽快なバウンス、そして何層にも重なったメロディーといったスリー6ならではのビートは、まさにタイムレスなのだ。彼らのパフォーム終わりにWish Boneが「キュートだったな」と発言。この「キュート(可愛い)」は、VerzuzのJeezy v.s. Gucci Mane 対決で、GucciがJeezyに放った言葉(解説はこちら) で、この一言があまりにも衝撃すぎて、流行語となった。ハードなことをした相手やパフォーマンスを牽制する意味で使われたり、また真剣な相手を冗談で交わす際に使われたりしている。

 

対するボンサグは、2000年のアルバム『BTNHResurrection』から「Weed Song」。1970年代に活躍したソウル/R&Bグループ、Harold Melvin & the Blue Notesの「Wake Up Everybody」をサンプリングしていることもあり、彼らの古き良きソウルフルなグルーヴ感が伝わる曲で、同じテーマでも、やはり音楽性が対照的なラウンドとなった。

 

 

ラウンド20 &フィナーレ

 

DJ Paulと、今は亡きメンバーで、Paulの兄のLord Infamous 、そしてJuicy J のトリオグループTear Da Club Up Thugの「Slob On My Nob(1999年)」を最終ラウンドにもってきたスリー6。「フェ○しろ」という、身も蓋もない、Cardi Bの男版「WAP(2020年)」といったところだが、リリックにはストーリー展開があり、エロさではなく、面白さが受けた曲。この曲もLil WayneやAsap Ferg、Meek Millなど様々なアーティストにサンプリングされている。

 

ボンサグは、予想通り、Eazy-Eを追悼した「Tha Crossroads(1995年)」。皮肉にも、Eazy-E亡き後、この追悼曲がグループ最大のヒットとなった。パフォーム前に、Layzie Bone がVerzuzにシャウトし、DJ Paulを呼び寄せ、なぜこの2つのグループがキャスティングされたか真意を確認する。それは、26年にも及んだ冷戦を精算すること。Layzieがここで、Juicy Jにもマイクを向ける。ここで、乱闘の件に関して、初めて口を開いたのだが「I apologize , Its all good (俺も悪かったし、いいってことよ。)」にとどめた。「20代からいがみあって、もう40代や。いや、50代の奴もいるからな」とDJ Paulも言ってたように、さすがに、Juicy Jも大人な対応を見せた。Wish Bone がEazy-E、Biggie 、Left Eye(TLC)、Aaliyah 、Jam Master Jay、Young Dolph 、Nipsey Hussleと亡くなったアーティスト達をシャウトし、ステージに集まった全員で「Tha Crossroads」を大合唱。バックのスクリーンには、悲劇の事故で亡くなったバスケットボール選手のKobe Bryant、そしてこのVerzuzライブの数日前に急死したファッションデザイナーのVirgil Ablohも写し出された。パフォームが終わると、スリー6サイドから亡くなったメンバー、Lord Infamous とKoopsta Kniccaを追悼する声も上がる。Juicy Jは、まだ札束をばら撒いていたが、その横で、DJ Paulが「俺はガキの頃からEazy-Eを聞いて育ったんや。Eazy-Eがおらんかったら、ギャングスタミュージックは存在してないんや」と改めて追悼する。Layzieが、「これこそカルチャーで、レガシーなイベントだろ。次世代のキッズ達に向けてもな。俺らがうまくやってると、君らも成功するチャンスが増えるってことなんだ」と締めくくろうとするも、自らのヒューマンビートボックスでフリースタイルバトルが始まる。ラウンド6で登場したフリースタイルキング、Lil’ Flipのために見せ場を用意したのだ。 さすがキング、独特なスローフローで、ヒューストンや同地発祥の咳止めシロップ(ラウンド4を参照)をレペゼンしつつ、LAにもリスペクト、そしてGASをガソリンとマリファナのダブルミーニングでかけ昨今話題のテスラに言及、そしてしっかり自分のスポンサーのプロモで落としていた。

 

何はともあれ、この2グループが歩んできた長い月日が、ヒップホップの歴史であり未来でもある。様々な人間模様の中、出会いがあり、別れがあり、そして再会。いがみ合い、乱闘があり、謝罪があり、最後は皆が主役。そして皆が笑顔、、、、というわけにもいかなかったのが、Juicy JとBizzy Bone ,Krayzie Bone。だが、この人間臭さこそが、Verzuz史上ベスト3に入った勝因なのだ。

 

[Aki’s Note]

Verzuz 徹底ブレイクダウンの追記として、3年前にボンサグに会いたい一心で、オハイオはクリーヴランドに滞在していた日本人アーティストについて触れておきたい。彼は、日本で売れるものを全て売って、オハイオ行きの航空チケットを手にするが、ボンサグはLAにいること、そして彼らの地元はフッドで危険だということを知らなかった。到着早々に、荷物を全て盗まれた。Krayzie BoneがNo Jumper で語ったところによると、ボンサグのアルバムの写真から、彼らの地元のストリートEast 99th Street(ラウンド14参照)を割り出し、辿り着いたのだそうだ。英語が分からず警察に通報されたところを、地元の活動家達によって引きとられた。その活動家の一人が、ボンサグのLA行きを手助けした人物でもあった。観光ビザでの滞在許可期間はすでに切れ、4ヶ月目に入ったある日、地元のバーでパフォームする機会が訪れた。そのイベントには、ボンサグにゆかりのあるアーティスト、そしてLayzie Boneの一番下の弟も来ていた。 その頃には、ローカルニュースで大々的に報じられており、Layzieの耳にも入った。Eazy-Eに会うことを夢見て、片道切符だけを持ってLAに向かった若かりし日の自分たちと重ね合わせたボンサグは、すぐさま救いの手を差し伸べた。

 

ただし、Krayzie Boneは「同じことをしようとしている他のファンやアーティストに言いたい。夢は追わないといけない。でも、未知の土地に行くには気をつけないとダメだ。俺らの生まれ育った場所は、フッド、いわゆるゲトーだ。荷物を盗られただけで本当によかった、命を取られてもおかしくないんだ。ちゃんと、計画を練ることだ」と忠告している。私自身も、夢を追って渡米した身。この日本人ラッパーのように、絶対的なタイミングで必要な人達と出会い、助けられてきた。夢があるなら、計画を練りつつ、行動を起こしてほしい。そして自分の未来を信じ抜くことだ。

 

(Source & 画像)https://verzuztv.com/shows/bone-thugs-n-harmony-vs-three-6-mafia/

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