死後に公開されたものやコラボプロジェクトも含め、25歳という若さで10枚以上のアルバムに相当する楽曲数を制作してきた2Pac。非常に多作で、驚きのペースで楽曲を制作していた彼に関するショートエピソードを今回は紹介したい。
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2Pacは1995年に性的暴行で4年の判決を言い渡され、収監されていた。無実を訴えていた彼の元に現れたのはデス・ロウ・レコードのシュグ・ナイトとインタースコープ・レコード代表のジミー・アイオヴィンであった。1.4億円の保釈金で、8ヶ月で出所することになった2Pacであるが、彼は出所してから全く休まずに制作を開始したのだ。
2Pacの保釈後初となる1996年のアルバム「All Eyez On Me」であるが、その1曲目である「Ambitionz Az a Ridah」と、13曲目の「I Ain’t Mad At Cha」は、なんと保釈された日にレコーディングされたのである。保釈された日にDaz Dillingerと合流したはすぐにレコーディングを開始し、同2曲の制作に着手したのだ。また、27曲も収録されているダブルディスクである同作品は、2週間で完成したとも明かされている。全曲ほぼ一発録りで完成させ、フィーチャリングされているアーティストもスヌープ・ドッグ以外は一発録りで完成させることを2Pacはこだわっていたようだ。
驚くべきペースで楽曲の制作を進めていた2Pacの仕事に対する理念は凄まじく、そのレガシーは彼の盟友Snoop Dogg (スヌープ・ドッグ)にも受け継がれている。スヌープ・ドッグは以前受けたインタビューで、以下のように語っていた。
「彼は俺にもう少し速く仕事をこなす方法を教えてくれた。自分が作ったものに浸りすぎるのではなく、ひたすら前に進むんだ。エンジニアに直ちにミックス・マスタリングさせて、作品に思い入れを持ちすぎない。とにかく作り続ける。自分の作品そのものへの愛より、作り続け、前に進み続けることへの愛が大切だって教えてくれた。」