2018年10月4日、<デス・ロウ・レコード>の設立者でCEOだったシュグ・ナイトが、米ロサンゼルスの裁判所で28年の実刑判決を受けた。2015年に男性二人をトラックで轢いて死傷させた彼は、殺人未遂と殺人の容疑で裁判にかけられる予定だったが、9月20日に突然司法取引に応じたため、故殺罪で起訴された。
90年代にドクター・ドレーと<デス・ロウ・レコード>を設立したマリオン・“シュグ”・ナイトは、ヒップホップ史に名を残す最重要人物の一人で、全盛期には2パックやスヌープ・ドッグなどによる大ヒット作を連発し、その多くが今では名盤と評されている。だが当時勃発していた東海岸と西海岸のラッパー抗争の中心にいた彼には黒い噂が絶えず、その後は長期にわたり衰退の道を歩んでいた。2パックが1996年にラスベガスで銃殺された時はナイトの車に乗っていた。ナイト自身も武装強盗や暴行などの重罪で過去に有罪判決を受けている。<デス・ロウ・レコード>は倒産に追い込まれ、彼はその経営権を失った。
2015年1月、ナイトは米カリフォルニア州コンプトンのハンバーガー・ショップで、N.W.A.の伝記映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』のコンサルタントを務めていた長年のライバル、クリー・“ボーン”・スローン(Cle “Bone” Sloan)と喧嘩になった。防犯カメラの映像には、彼がトラックをバックさせてスローンにぶつけた後に直進してビジネスマンのテリー・カーターを轢いた瞬間が残されていた。カーターは死亡したが、ナイトの弁護団は正当防衛を主張した。
故殺罪は通常11年の実刑に相当するが、ナイトの場合は過去に受けていた重罪判決と重なりカリフォルニア州の“三振法”が適用されたため、実刑が倍増した上に6年上乗せされることとなった。一方で、司法取引で彼に対する告訴がいくつか取り下げられている。2014年に女性からカメラを盗んだ罪と、『ストレイト・アウタ・コンプトン』の監督F・ゲイリー・グレイに脅迫メールを送った罪の2件だ。
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