1998年に2枚のアルバムをリリースし、両方ともプラチナ認定とビルボード1位を獲得するという偉業を成し遂げた初のラッパーDMX。ラップゲームのトップに君臨していたDMXであるが、常にドラッグ問題に悩まされていたことでも知られている。そんな彼がタリブ・クウェリがホストを務める「People’s Party」に出演し、どのようにしてドラッグの世界に入ってしまったかを明かした。
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彼はラッパーとして活動しはじめる以前、Ready Ronというローカル・ラッパーのビートボクサーとして活動していた。まだ10代前半であったDMXはReady Ronを兄のように慕っており、メンターとして尊敬していたようだ。しかし彼が14歳のとき、彼はReady Ronが原因でクラック・コカインを手にするようになったと語っている。
友人の誕生日パーティーにて、お金を数えていたDMX。お金を数えていたとき、Ready Ronがブラントを持ってきて、DMXに吸うように渡したようだ。しかしそのブラントにはクラック・コカインが混ざっており、彼は意識がおかしくなったと語っている。
「Ready Ronは俺の人生において最も大切なラップというものを教えてくれた。でも俺の人生の全ては、呪いに恵まれていた。俺はタバコもやらなかったし、ウィードもやらなかった。何もそういうことはやらない14歳の少年だった。Ready Ronは俺が友達の誕生日パーティーで、お金を数えていたとき、ブラントを俺に渡してきた。最初は吸わなかったが、二回目に回ってきて、それを受け取った。そこからもう数えていたお金には意識はなく、完全におかしくなった。今まで経験したことがない感じになった。」
彼はReady Ronから受け取ったドラッグにウィードではなく、クラック・コカインが混ぜられていることを知らなかったと語った。
「なんで14歳の子供にそんなことをするんだ。彼をメンターとして尊敬していたのに。なぜ自分のことを尊敬している子供にそんなものを渡すんだ?そこから自分のなかに怪物が生まれてしまった。」
自分が尊敬していた人物から受け取ったのもあり、ドラッグに手を出してしまったと、息を詰まらせながら語るDMX。いかに彼が感情的になっているかが、動画からは伝わってくるが、最も大きな問題はドラッグそのものではなく、自身が抱えている問題について人に相談できなかったことであると明かしている。
「ドラッグそのものが問題ではない。ドラッグは大きな問題の症状の一つだ。フッドでは色々なことがあって、自身が抱えている問題を無視して、意識からブロックしてしまう。誰もそういうメンタルのサポートには協力的じゃないんだ。そのような自身が抱えている問題について話すのは、弱いことだという風潮がある。でも本当は、その弱さを見せることができるのは、とても強いことだ。そのような問題を人に話すということは、最も勇気のあることだ。」